2023-3-15
医療機関の厳しい経営環境が続く中,ITなどのデジタル技術への投資は難しい状況にある。また,国が推進する医療のデジタルトランスフォーメーション(DX)施策には,取り扱う情報や電子カルテの普及など課題も残されている。しかし,医療DXはいつかやらねばならないことである。実現に向けては,国が明確なビジョンを示し,それをめざして,国民,患者を置き去りにすることなく,プラス思考で取り組むことが,医療機関にとっても良い成果につながる。
医療機関の厳しい経営環境がデジタル化の投資を阻む
日本の医療のIT化について,その歩みを振り返ると,まず1970年代にレセプトコンピュータが登場しました。私が院長を務めた大道病院(現・森之宮病院)でも73年に導入して,79年にはメインフレームによる電算処理へと移行しています。その後,80年代に入るとオーダリングシステムが普及し始め,99年には診療録の電子保存が認められ,2000年以降電子カルテを導入する施設が増え始めました。2006年にはレセプトのオンライン請求が開始となり,さらに2010年には診療録の外部保存が解禁され,クラウド型電子カルテのサービスが広がりました。
このように,医療情報システムは,50年の間に大きな混乱もなく着実に普及が進んだと言えます。厚生労働省の調査によると,電子カルテの普及率は2020年の時点で,400床以上の施設で90%を超え,200床未満では約49%,診療所も約50%になっています。大きな問題もなく,IT化が進んでいるのには,3つ理由があると考えています。1つは,IT化が医療機関経営にプラスなったためです。電子カルテとPACSによって,カルテとフィルムの保管場所や搬送作業が不要となり,フィルムの購入もなくなって,コスト削減など経営面でメリットを得られました。また,2つ目は,IT化が医療の質向上にも寄与したことです。転記ミスなどのインシデントを防止し,アレルギーなどの患者情報の確認や共有も効率的かつ確実に行えることで,安全で質の高い診療を行えるようになりました。さらに,3つ目は,かつては診療報酬改定率が高く,多くの医療機関が安定して成長できていたことから,IT化のための原資を確保することができていたことです。つまり,これまでの医療のIT化は,医療機関に原資があり,経営と医療の質を向上させることができるために積極的に投資が行われ,普及してきました。
しかし,1990年代後半から診療報酬改定率が下がり,物価上昇率と比較しても伸びが低く,医療機関を取り巻く経営環境も厳しくなっています。また,医療情報システムの構築にかかるコストも,かつてのレセプトコンピュータ導入の場合と比べると,大幅に高額になっています。こうした理由から,現在は医療機関にとってITなどのデジタル技術の導入に投資しにくい状況が続いています。
全国医療情報プラットフォームの有効活用に向けて残る課題
医療DXの推進が盛り込まれた「経済財政運営と改革の基本方針2022 新しい資本主義へ~課題解決を成長のエンジンに変え,持続可能な経済を実現~(骨太方針2022)」では,「全国医療情報プラットフォームの創設」「電子カルテ情報の標準化等」「診療報酬改定DX」の3施策が示されています。
全国医療情報プラットフォームは,オンライン資格確認のネットワークを拡充するとしており,併せて電子カルテの標準化を進め,診療情報提供書などの3文書,検査情報といった6情報を,クラウドで共有できるようにするとしています。このことは大変良いことだとは思いますが,それにより医療の質がどのように向上するかが明確にされていません。すべての国民がマイナンバーカードを取得し保険証として利用するのならばよいのですが,そうならなければ,かえって情報が不十分となり,共有するメリットを得にくくなります。加えて,共有する情報が常に新しい情報でなければなりません。例えば,ある患者のアレルギー情報が3年前のもので,直近に別の医療機関で新たなアレルギー反応を起こした場合に,その情報が共有される前に診療を行うと重大なインシデントが生じるリスクがあります。さらに,電子処方箋の情報の共有も進めることとなっていますが,現状では,院内処方は対象外となっています。これでは,例えば,紹介患者が紹介元の医療機関に入院していたときの処方内容がわからないといった事態が発生することも考えられます。
電子カルテ情報の標準化には普及に向けた技術の進歩も必要
電子カルテ情報の標準化は,とても重要なことであり,その規格にHL7 FHIRを用いることとなりました。ただし,すでに電子カルテが稼働している医療機関では,標準化に対応するためにシステムの改修・更新などの作業が生じる場合もあります。多くの電子カルテはパッケージ化されていても,それと接続する部門システムが医療機関ごとに異なっているなど,たとえ同じベンダーのパッケージシステムでも仕様の異なることが多いため,HL7 FHIRに対応するのは,時間とコストを要する可能性があります。加えて,従来の医療情報システムは,診療情報という機微な個人情報を保護するために,外部との接続を避け閉鎖的な環境で運用していました。このようなシステムが普及していることが,標準化を進める上では障壁になるかもしれません。
さらに,電子カルテを普及させるためには,入力作業などを効率化させる技術の進歩も求められます。以前の電子カルテは,キーボード入力のために医師がモニタ画面に見入ってしまって患者に顔を向けないと指摘されることがありました。また,看護師がベッドサイドでバイタルデータのメモをとり,ナースステーションに戻ってから入力するといったことが当たり前でした。その後,デバイスやセンシングといった技術が発展し,血圧計などの医療機器で計測した情報が自動的に電子カルテに入力されるようになりました。今後は,技術革新によって,より多くの情報が自動記録できるように進化していくことを期待しています。これにより,医療者の負担軽減が進み,働き方改革にもつながるはずです。
私個人の意見ではありますが,以前,すべての医療機関が利用できるような「ジャパンカルテ」を提唱したことがあります。共通の機能,仕様を持ちながら,医療機関の種別や特性に応じて対応したモジュールを組み込む電子カルテを,国の主導の下,ベンダー各社が協力して開発するというものです。これにより,開発費用が抑えられ,医療機関も導入しやすくなるはずです。また,診療報酬改定時のシステム改修のコストを下げることもでき,ベンダーの負担も軽減して診療報酬DXにもなるなど,今後の電子カルテ情報の標準化に向けたヒントにもなるかもしれません。
医療DXはいつかやらねばならないことであり国民,患者を置き去りにせずに進めることが大事
本来ならば,もっと早い時期に標準化された共通のシステムがあるべきだったと思いますが,それが実現しないまま電子カルテの普及が進んでしまいました。骨太方針2022で示された医療DX施策は,標準化や共通基盤などを進めるものであり,これまでの医療情報システムを見直す良い機会だととらえています。「全国医療情報プラットフォームの創設」「電子カルテ情報の標準化等」「診療報酬改定DX」は,いずれもいつかやらねばならないことです。すでに海外では成功している国もあります。だからこそ,医療者は医療DXの推進に反対せず,これを好機だととらえて,議論しながらより良い方向をめざして挑戦していくことが大事です。
ただし,医療DXを進める上で忘れてならないのは,国民,患者を置き去りにしないことです。例えば,マイナンバーカードの保険証利用についても,患者自身が信頼しているかかりつけ医が対応していないからと言って,受診の妨げになってはいけません。また,2023年1月から電子処方箋が始まりましたが,国の周知が十分ではなく,国民,患者にはあまり認知されていません。当院でも,医師や事務職員が患者に説明しているのです。
このような現状を見ていると,国には私たちが納得できるようなビジョンを示してほしいと思います。たとえ医療DXによって一時的にコストがかかったり,医療現場が混乱したりすることがあっても,将来的には国民,患者,医療者にとって大きなメリットになるという強いメッセージを出すことが求められます。
コロナ禍で社会のDXが進んだように目的を持ちプラス思考で取り組みを
コロナ禍によって,社会全体でDXが進み,医療現場でもオンライン診療や面会,カンファレンスが行われるなど,時間や距離にかかわらずコミュニケーションがとれるようになり,デジタル技術によって変わろうとしています。このようなデジタル技術の医療現場への浸透は,非接触でコミュニケーションをとるという明確な目的があったからこそ急速に普及しました。国が推進する医療DXの施策についても,医療機関は経営と医療の質を向上するという明確な目的を持ち,プラス思考で積極的に取り組んでいくことが,良い成果を生むことにつながると思います。
(取材日:2023年1月10日)
(おおみち みちひろ)
1981年順天堂大学医学部卒業。大阪大学微生物研究所研究員を経て,85年に医療法人大道会に入職。90年に医療法人大道会大道病院(現・社会医療法人大道会森之宮病院)院長就任。現在,同法人理事長。2010年から日本病院会副会長を務める。