2011-6-20
久保田泰弘 氏
地域医療再生計画などの施策を受け,地域連携にITを活用する動きが広がっている。また,iPadなどのモバイルデバイスの活用により,医療現場でもクラウドコンピューティングが普及していくことが予想される。今回は,浪速区医師会が始めた情報共有のためのiPad,iPhoneの活用事例について,同医師会の久保田泰弘氏が紹介する。
■導入のねらい
ブルーカードシステム
とは,2009年11月から大阪府大阪市の浪速区医師会が独自に始めた,病状急変時に速やかに対応できるよう近隣の連携病院へ事前に患者情報を登録しておくシステムである(ブルーカードは最低限必要な患者情報を記入するカードである)。
当初は,在宅患者のみを対象に開始したが,システムの安定化に伴い,現在は診療所に通院される病状急変の可能性のあるすべての人が登録可能となっている(図1)。現時点では,浪速区とその近隣の3つの区に立地する7病院が連携病院として参加しており,病院間もネットワークを組んで患者急変時の対応を行う体制となっている。
日本の医療崩壊,その中でも特に救急医療対応は年々悪化している。ここ数年,3回以上救急搬送を拒否されたケースが1万件を超えており,大阪ではここ10年で救急告示病院が40施設近くなくなっている。また,大阪市内のデータでは2005年以降,救急搬送所要時間が毎年悪化してきており,2010年度では30.2分となった。救急搬送所要時間は,できれば20分以内にすることが望ましく,それを実現したのがブルーカードシステムである。つまり,1つのエリアにある開業医と病院が一体となって,全員で地域住民の健康を守っていくことができれば,救急搬送時間を短縮できることを証明している。
このシステムでは,すべての開業医の参加が重要であるため,簡便さに重点をおいてFAXさえあれば登録できるようになっている。そして浪速区医師会がFAXで送られてきたブルーカードをPCで,住友セメントシステム開発社のクラウドサービスである「Syncnel for Enterprise」(旧サービス名:SyncBoard for Enterprise)にデータアップし,アップされたデータを必要な医療機関が,PC,iPad,iPhoneで閲覧することができるようになっている(図2)。さらに,現在は電子カルテを導入されている先生方が中心となって,ブルーカード以外の患者データ(採血,画像所見,心電図,薬剤情報など)をデータアップして,緊急時に連携病院がすぐに閲覧利用できるようにしている(図3)。
ブルーカードの登録があればこのシステムに参加できるものの,救急時には過去の採血データ,画像所見,心電図の過去の情報が,非常に有益になる場合も少なくない。急変時には,登録病院の当直医が,患者搬送前にその患者のデータをiPadで閲覧しながら待機することができるので,余裕を持って救急患者を受け入れることができる。
開業医も24時間,365日複数の患者を管理し続けることは不可能である。iPadが浪速区医師会の先生方に行き届けば,誰でも簡単にさまざまな患者情報を登録しデータアップできると考えている。
|
|
3つの“医”識改革(医師の意識改革)
私たちは,このブルーカードシステム導入に関し,3つの“医”療改革を考えている。
1つ目は,一人の患者を開業医とそのエリアの複数の病院が協働で診ていくべきという医者の意識改革。
2つ目は医療IT改革である。iPadと最強のセキュリティを保証したクラウドサービスであるSyncnel for Enterpriseの組み合わせにより,効率的かつ安全でシンプルなシステム運用ができる。つまり,FAXとiPadさえあれば,誰でもシステムに参加することができるという容易さを電子カルテに依存せず実現してくれた。モバイルデバイスと最強サービスのタッグである。
そして3つ目は,医療費節減改革。患者のさまざまな検査データ(採血データ,画像所見,心電図,薬剤情報など)を共有することにより無駄な検査の重複を避けることができ,医療費節減の効果がある。
■システム構成
2010年12月にわれわれのプロジェクトにソフトバンク社が参画し,複数のアプリケーションベンダーを紹介していただき,2011年3月末に運用を開始できた。それ以前はPCのみでの運用であった。いままでより,患者データをより安全に扱う意味で,Syncnel for Enterpriseは非常に優れたサービスである。
Syncnel for Enterprise概要
Syncnel for Enterpriseとは,組織内で活用している複数のiPad,iPhoneに対し,ドキュメントやコンテンツを一括管理・運用できる最新のクラウドサービスである 。
Syncnel for Enterpriseでは,情報漏えいを防ぐリモート削除機能,誰がいつドキュメントを閲覧したかのログを細かく収集・管理する機能,本体紛失時の閲覧ロック機能,アプリ連携によるファイル複製の制限,デバイス単位でのアクセス権限管理,ドキュメント単位での閲覧期限設定やデータ保護API(Application Program Interface)を使用した暗号化など,高いセキュリティを確保しつつ,簡易にドキュメントやコンテンツを共有・配布できるシステムを提供している。
■運用方法
まずブルーカードに患者情報を記入する。患者を新規登録すれば,ブルーカードでの登録は患者が取り下げを希望しない限り永久に有効である。半年に一度のブルーカードの更新を義務づけているが,データを添付する場合はできるだけ最新の情報を添付するよう努力する。
浪速区では,すべての介護事業所と大阪市内の救急隊にブルーカードの協力を要請しているので,システムは円滑に運用されている。
ブルーカードには,必ず家族の人や介護事業者などの緊急連絡先を記載しておく。ブルーカードと患者情報は,ブルーカードを患者に渡した後,医師会と登録病院(事前に決めておいた最初に連絡する病院)にFAXする。その後医師会がデータをPDFに変換しアップする(図4)。
2011年4月よりPCで主治医がさまざまなデータをアップすることが可能になり,患者データの共有化が急速に進んでいる(図5)。
Syncnel for EnterpriseのシステムやそのiPad,iPhoneアプリのSyncBoard
の開発元は,フィードテイラー社の大石裕一氏で,スマートスタイル社が技術サポートと保守,インターネットイニシアティブ(IIJ)社がデータ保存を行い,サービスの提供を住友セメントシステム開発社が担当する。
もともとブルーカードは,浪速区医師会を中心に開業医と近隣の病院とのネットワークで始まったものであるが,iPadとSyncnel for Enterpriseの登場で,急速に進化を遂げている。また,ブルーカードシステムに関しては,2010年の大阪府医学会総会で発表しており,登録患者の地区や登録主病名,要介護度,認知度,基礎疾患などのデータをレトロスペクティブに分析して報告した。将来的には,疾患の地域特異性やデータに応じて,より需要のある診療科目をネットワークに増やしていくことも検討している。
■効果と将来展望
ブルーカードシステムを導入して1年4か月であるが,251件が登録され中止も含めて51件がすべてスムーズに処理された。救急搬送所要時間が17.1分と20分以下を実現しており,また受け入れを拒否されたケースはない。実際に登録した患者とその家族からは,ブルーカードを持っていることで「これまでと安心感が違う」と言われ高評価を得ている。 また,このシステムは普段から信頼関係のある患者との間で成り立っており,病院にとっても安心できるものである。
われわれは,できればこの制度を大阪全域に広げていきたいと考えている。2010年より,病診連携委員会のメンバーと,ソフトバンク社,フィードテイラー社,住友セメントシステム開発社と複数回にわたり合同会議を設け,協議して進めてきた。それにより,現在第2ステージまで現実化している。
将来の展望も含め,以下に第4ステージまでの概略を示す。
- 第1ステージ:ブルーカードをFAXで医師会に転送し,そのデータを開業医とネットワーク病院の担当医がSyncnel for Enterpriseで閲覧できる。
- 第2ステージ:ブルーカードとその患者の医療データ(採血,画像所見,心電図,薬剤情報など)を主治医が自分でアップする。そのデータをiPad,iPhoneを用いSyncnel for Enterpriseで閲覧できる。
- 第3ステージ:iPadを用いてPCを使わずにデータを主治医がアップする。そのデータをSyncnel for EnterpriseでPC,iPad,iPhoneで閲覧することができる。
- 第4ステージ:患者が世界中どこに行っても,自分の情報をPC,iPad,iPhoneだけでなく,あらゆるスマートフォンで閲覧することができる。
第4ステージまで来れば,今回の東日本大震災のような場合も,iPadが1台あり登録さえしていれば,薬剤情報を含めて被災者全員の診療データが医療クラウドで呼び出せるのである。そして,正確な不足薬剤を特定することができる。
また,将来的に血液検査会社,画像診断センター,調剤薬局の協力が得られれば,主治医はブルーカードを登録さえすると,後はほかの機関がデータアップしてくれる時代が来る。そのようなことを可能にしてくれるのがiPadとSyncnel for Enterpriseの最強タッグなのである(図6)。
医療クラウドと言えば,電子カルテクラウドが先行しているが,われわれの地区でとったアンケート結果によると,開業医のうち電子カルテ導入組は2割程度で,後の8割のうち数年内に電子カルテ導入の可能性がある施設は1割のみであった。つまり,エリアの7割は,当分の間電子カルテを導入する意思はない。一方,セキュリティさえある程度担保されれば,患者のためにデータを共有してもよいかの質問に大多数が賛成している。iPadで患者の医療検査データのみ利用するクラウドならば,すぐに実現化できるのである。
本来,異なるOSで,異なるデータベースソフトを用い,しかも医療用語すら明確に統一できていない電子カルテクラウドの道は険しい。必ず,ローカルなネットワークでストップする。医療情報革命は,スピード優先と考えている。もちろん,セキュリティは重要であるが,バックアップを各医院でも取れば,万が一クラウドがクラッシュしたときでも復元可能である。データ漏出の危険性はゼロではないが,電話も盗聴できる時代である。それゆえに,われわれはiPadとSyncnel for Enterpriseの組み合わせを選択した。
浪速区から発信したこのシステムが普及すれば,大阪の救急医療ネットワークだけでなく,医療連携のあり方が抜本的に進化するだろう。
◎略歴
(くぼた やすひろ)
1988年大阪医科大学附属病院麻酔科入局。枚方市民病院,大阪医科大学附属病院ペインクリニック外来,大阪府立三島救命センター,大阪医科大学附属病院ICU,同院手術室,高槻赤十字病院,恵美須東クリニックを経て,2001年大阪市浪速区にえびす診療所を開設。2007年から浪速区医師会地域医療担当理事。2009年に浪速区病院連携委員会を設立し,ブルーカードプロジェクトを創設。2010年に浪速区医療情報委員会を設立。麻酔標榜医,ペインクリニック専門医,スポーツ医。