2011-1-26
遠矢純一郎 氏 片山智栄 氏
医療関係者からも大いに注目されるiPhoneやiPadなどのモバイルデバイスが医療にどのような影響を与えるのか。シリーズ第3回は,在宅医療の現場でiPhoneを活用する医療法人社団プラタナス桜新町アーバンクリニックなどが進めるクラウド型地域医療支援システム「EIR」の事例を紹介する。
■アウェイな医療(在宅医療)にこそモバイルデバイス
日本社会は急速に高齢化し,総人口に占める高齢者の割合は増加している。そのため,老人医療費の高騰や介護問題が大きな課題となっている。これらを解決する一手として,厚生労働省は「在宅医療」に注力している。「療養の場所」が病院から自宅へと変わり,さまざまな介護サポート制度を充実させ,在宅医療は日本の老人医療制度を支える存在にならんとしている。
当然のことながら,在宅医療はそれぞれの患者宅に訪問して診療を行うため,病院とは違ってアウェイな医療だ。患者宅には常時医療従事者もいなければ,本人の治療情報・既往歴などの基本情報すら置いていない。それでも24時間365日緊急コールや緊急往診に対応しなくてはならない。在宅医も常にカルテを持ち歩くわけにもいかないので,いつでもどこでも患者情報にアクセスできるような仕組みが必須である。最近では,グループ診療体制を敷いている在宅支援診療所が増えている。このグループ診療体制を構築するためには,相互の情報共有と管理が必要だ。
いつでもどこでも必要な情報にアクセス,検索でき,軽く小さく持ち運べて電話もでき,写真やビデオなどの多種多様な機能を搭載したiPhone・iPadなどの「モバイルデバイス」こそが在宅医療の必須アイテムと言えるだろう(図1)。
■患者情報共有の仕組みを多職種連携に拡大
加えて在宅医療の特性として,さまざまな業種,職種が「患者サポーター」として協業するという点が挙げられる。在宅医療を提供する医師だけではなく,ケアマネジャー,訪問看護師,ホームヘルパー,訪問薬剤師等,多職種が参加しながら,「患者宅」をあたかも「病室」であるように患者をサポートする。これらの多様な「患者サポーター」は,通常それぞれが別事業所に属しており,患者宅に訪問するタイミングも異なるため,情報共有が難しい。日常的な情報の共有は,患者宅に置かれる連携ノートやFAXなどによって行われることが多い。通常,訪問看護師や在宅医が訪問するのは週に1,2回である。よって患者の日常情報である食事,排泄,活動,病状などの観察は,主に患者家族,ヘルパーが担っている。在宅医療では,そういった日常生活情報が患者の療養評価や診療における重要なデータになるため,連携ノートを作成しそれぞれの職種が記入している。しかしながら,これでは情報の質と即時性には難が残る。
訪問看護師を例に考えると,実施した看護の記録を連携ノートに書き,ステーションに戻ってから看護記録として記録し,在宅医への報告書を作成……,と患者情報が1つの場所に整理,収集されていないため,記録を重複記入しなくてはならなかった。これらの情報のやりとりは在宅医と訪問看護師,訪問看護師とケアマネジャーなどと一方通行であることが多いため,すべての「患者サポーター」が把握することができない。そもそもスタッフ間の連携がとれなければ治療方針を把握することすらできず,在宅医と訪問看護師の方針や指導内容の統一を図ることも難しかった。
この課題を解決するために,筆者らは一般的に使われているグループウエアに着目,有限会社ライトハウスの協力を得て,「地域医療支援システム」を開発した。iPhoneを通してグループ診療体制に従事する在宅医や多職種が即時に情報共有できる仕組みを構築中である。
■地域医療支援システム「EIR」──患者情報共有の利点
地域医療支援システム「EIR」では,どの職種の患者サポーターも招待されれば,等しく日常生活情報やケア記録を入力することができる(図2,3)。各職種によって専用の入力フォームがあり,観察項目に沿って入力しやすいように配慮されている。記録は時系列に配列され,重要や至急,通常などのタグをつけることで,情報の重要度を分類できる。写真やPDFなどのファイルを添付することが可能なため,褥瘡(じょくそう)の経過を写真で追うこともできる。これまでFAXや電話,メールのやりとりだけで情報の共有を図っていたが,EIRを活用することで情報が集約,整理され,いつでもどこにいても確認できるというのは,診断材料として大変に有用である。
そして,これらの日常生活情報やケアに関する記録にそれぞれの職種がコメントを残していくことで,患者サポーターすべてへの教育的役割を果たすのではないかと考えている。
例を挙げてみよう。患者Aさんの仙骨部に褥瘡があることをヘルパーが発見した。その状況を皆に知らせるため携帯で写真を撮り,EIRにアップする。その画像を見た訪問看護師が次の訪問時に状態を観察。在宅医へ報告し,洗浄や軟膏処置,適切なドレッシング剤の検討を重ねる。こういった訪問看護師と在宅医とのやりとりをケアマネジャーが把握することで,適切な福祉用具やエアマット導入へのスムーズな対応が可能となる。また,日々必要なケアへの注意事項や処置指導内容をEIR上に残しておくと,ヘルパーや家族皆が把握でき,ケアが統一され,その場にいないヘルパーにも容易に伝達することが可能だ。褥瘡に関する処置の手順をビデオ撮影しEIRにアップしておけば,たとえ手順がわからなくなってしまっても,振り返り学ぶことが可能となる。
このように,患者に関連するケアやキュア内容を全員が把握することでケアが統一され,提供されるケアとキュアの質が向上される。それぞれの役割を分担し,ときには議論を重ねるような相互コミュニケーションの場を提供するのが,EIRの役割である。そして,これこそが現場にいる経験からこそ学べる知恵にほかならない。
■地域医療支援システム「EIR」──クラウド型患者情報管理の仕組み
地域医療支援システムEIRは,インターネット上にシステム構築とデータ管理を行うクラウドコンピューティングと呼ばれるシステムである。そのため,パソコン,iPhone,携帯電話からアクセス可能で,在宅医療の現場でいつでもどこからでも利用できる。そもそも小さな事業所では情報システムに投資することが難しく,そのためにいまだに紙ベースのオペレーションになっている事業所がほとんどである。このことはかえって事務作業の効率化を妨げ,情報共有にも大きな障壁となる。クラウドコンピューティングを利用することで,低コストで高機能な情報処理ができるというのは魅力的である。
また,このサービスを地域全体が採用すれば,ネットワークを通じた協働,データ収集が可能となり,在宅医療に関連した福祉器具開発や介護用品の口コミ,さまざまな家庭での工夫を共有するようなソーシャルネットワーキングの可能性をも秘めている。
開発者である有限会社ライトハウス代表取締役社長片山嘉国氏によると,EIRは米国Amazon社の「Amazon EC2」上にシステムを構築している。Amazon EC2では従来のデータセンターとは異なり,大量のコンピュータをあたかも1つのシステムとして構築・運用され,最先端の分散技術と仮想化技術を用いた非常に高いセキュリティ品質を維持している。さらに,iPhoneや携帯電話を使う場合においても,SSLによるネットワークの暗号化やID,パスワードに加えて固定端末IDを使ったユーザー認証を行うことで,高度のセキュリティを施している。加えてクラウドシステムは,それぞれが持つ端末には患者データが残らないため,紛失や盗難などのトラブルにも安全である。
■地域医療支援システム運用の実際と今後の展望
現在,当院を中心に地域医療支援システムの試験運用を実施している。これまで当院では,地域の連携先と電子メールでの情報連携を実践しているが,以前の紙ベースのやりとりと比べて,その迅速性や簡便性,連絡のしやすさなど,意義を感じていただけているようである。一方で,まだまだ IT リテラシーや情報を発信することへの意識には格差があり,一足飛びにインターネットでの情報連携に移行することは難しいことも事実である。今後は,地域医療支援システムがそれぞれの事業所の業務効率化にもつながるよう,書類作成機能や教育コンテンツなどを付帯させ,より使いやすく利用価値のあるシステムをめざしていく予定である。
◎略歴
(とおや じゅんいちろう)
医療法人社団プラタナス桜新町アーバンクリニック院長。1992年鹿児島大学医学部卒業。鹿児島大学医学部第3内科,沖縄県立中部病院を経て,用賀アーバンクリニック(東京都世田谷区)開業時より参画。副院長を務める。2006年に家族の看病のため帰郷,ナカノ在宅医療クリニック在籍。2009年5月に桜新町アーバンクリニック(東京都世田谷区)院長就任。在宅医療部を設立する。日本内科学会総合内科専門医,日本在宅医学会指導医。
(かたやま ちえ)
福岡県出身。防衛医科大学校高等看護学院卒業。防衛医科大学校病院消化器外科病棟,集中治療部(ICU/CCU)勤務。2003年株式会社ビーアールビーメディカルサロン事業部勤務。富裕層向け会員制医療相談室でチーフナースを務める。2009年から医療法人社団プラタナス勤務。訪問診療同行看護師として従事しながら地域医療連携構築に向けて奔走中。