2023-3-30
がん診療において,生殖細胞系列(germline)の遺伝情報を基にリスクの高さやがんの表現型を推定し,術式,予防医療,薬剤の選択を行うプレシジョン・メディシンが展開されている。国内では,2020年に遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)診療の一部が保険収載され,BRCA1/2の遺伝学的検査や遺伝カウンセリングが臨床で活用されるようになっている。厚労科研研究「ゲノム情報を活用した遺伝性腫瘍の先制的医療提供体制の整備に関する研究」班(櫻井班)では,HBOCに限らず多くの遺伝性腫瘍を対象に,また,発症者だけでなく未発症者も含めた遺伝医療の提供,診療の標準化をめざして研究に取り組んできた。2023年3月の研究期間終了を前に櫻井班メンバーが集い,遺伝性腫瘍多遺伝子パネル検査(MGPT)をテーマとした第3回厚労科研研究班Webセミナーの内容を振り返りながら研究を総括するとともに,遺伝性腫瘍診療のこれからについて語り合った。
出席
厚生労働科学研究費補助金(がん対策推進総合研究事業)
「ゲノム情報を活用した遺伝性腫瘍の先制的医療提供体制の整備に関する研究」班
(研究代表者)
櫻井 晃洋(札幌医科大学医学部遺伝医学 教授)
平沢 晃(岡山大学学術研究院医歯薬学域臨床遺伝子医療学分野 教授)
鈴木 美慧(聖路加国際病院遺伝診療センター 認定遺伝カウンセラー)
(司会)
吉田 玲子(昭和大学臨床ゲノム研究所 講師)
櫻井班の概要と遺伝医療への関心の高まり
(司会)吉田:本日の座談会では,2022年11月23日に開催した第3回厚労科研研究班Webセミナーの内容を振り返りながら,遺伝性腫瘍におけるMGPTの課題や櫻井班の活動の成果について意見を交わしたいと思います。はじめに研究代表者の櫻井先生より研究班についてご紹介をお願いします。
櫻井:遺伝性腫瘍診療の歴史としては,多くの遺伝性腫瘍原因遺伝子が1990年代に単離され,日本では2000年に臨床研究として,2006年に自費診療としてBRCA遺伝学的検査が開始されました。2012年に日本HBOCコンソーシアムが設立され,2016年から日本遺伝性乳癌卵巣癌総合診療制度機構(JOHBOC)が事業を引き継ぎ,HBOC診療体制の整備・拡充や調査研究を行っています。保険診療の動きとしては,2016年に甲状腺髄様がん(RET遺伝子)と網膜芽細胞腫(RB1遺伝子)の遺伝学的検査が初めて保険収載され,2018年にコンパニオン診断*1,そして,2020年にHBOC診断を目的としたBRCA検査が保険収載されました。MGPTは2017年に日本に導入されましたが,臨床で使うようになったのはここ2〜3年のことだと思います。
厚労科研研究班としては,2014〜2017年の「わが国における遺伝性乳癌卵巣癌の臨床遺伝学的特徴の解明と遺伝子情報を用いた生命予後の改善に関する研究」班(研究代表:順天堂大学・新井正美)が日本におけるHBOCの実態解明をテーマに情報収集を行い,その成果を基に2017〜2020年に私が研究代表を務めた「ゲノム情報を活用した遺伝性乳癌卵巣癌診療の標準化と先制医療実装に向けたエビデンスの構築に関する研究」班が診療の標準化,エビデンスの蓄積をテーマに研究に取り組みました。続く2020〜2023年の櫻井班では,HBOCに限らず多くの遺伝性腫瘍を対象とし,かつ,未発症の方にも医療を提供することをめざして研究を進めてきました。
櫻井班では,「国内実態調査」「遺伝学的検査」「遺伝医療体制の整備」「予防医療の実装」「ゲノム医療」の5つを研究の柱とし,遺伝性腫瘍診療の標準化と均てん化をめざしています(図1)。活動周知のためにWebセミナー*2を企画し,第1回(2021年3月13日)はMRIサーベイランスについて,第2回(2021年8月7日)では「遺伝性乳癌卵巣癌(HBOC)診療ガイドライン」1)の解説をテーマに開催し,多くの方にご参加いただきました。そして,2022年7月には,当事者や一般の方向けのガイドブック『遺伝性乳がん卵巣がんを知ろう!』2)を発行することができました。また,研究者や医療者はもちろん,一般の方も対象にした研究班のWebサイト(https://www.geneticsinfo.jp
)も立ち上げました。
(司会)吉田:Webセミナーでは視聴者にアンケートを行いました。第1回の視聴者は,51%が医師で,遺伝カウンセラーや看護師,診療放射線技師にも多く参加いただきました。セミナーで取り上げてほしいテーマとしては,HBOCだけでなく,約6割の方が「HBOC以外の遺伝性腫瘍症候群」を希望していました。第2回では,ガイドライン委員長と各領域リーダーにガイドラインの内容について解説していただき,ライブ/アーカイブ配信を合わせて1380人もの方の参加がありました。アンケートでは,セミナーで取り上げてほしい課題領域として「HBOC以外の遺伝性腫瘍症候群」が最も多く,内容としては「未発症者を含む遺伝診療体制」「サーベイランスを含む医学的管理」「医学的検査と解釈」「MGPT」が多い結果となりました。これを受け,第3回のWebセミナーでは,HBOCにとどまらない“Beyond BRCA”,そして未発症の方も含めた遺伝診療をテーマに取り上げました。視聴者数はライブ/アーカイブ配信を合わせて754人で,アンケートでは,今後もMGPTセミナーを開催してほしい(76.8%),MGPTのガイドラインがあるとよい(68.8%),MGPT保険収載を希望(63.8%)の結果が得られました。
櫻井:アンケートでは未発症者やサーベイランスへの関心の高さがうかがえますが,そういった意識を持つ方が増えてきたことは私たちも感じています。また,少し前まではこのようなセミナーに参加する医師は遺伝が専門の医師が多かったのですが,現在は乳腺外科や婦人科の医師にも多く参加いただくようになり,一般診療化していることを実感します。
鈴木:看護師も一定程度参加していて,診療現場でコンパニオン診断が実施されつつある中で,患者さん対応のために課題感を持ってくれているのだと思います。乳がん看護認定看護師などが多いと思うのですが,自施設へ情報を持ち帰って現場教育に生かしてくれているのではないでしょうか。
櫻井:アンケートでは,研究班への要望として,一般の医師に対する遺伝に関する教育システムの検討という回答がありました。現在のモデル・コア・カリキュラムでは遺伝の基礎を学ぶようになっていますが,医師の生涯教育にどうやって取り込んでいくかは課題の一つだと思います。
国内におけるMGPTの状況
(司会)吉田:第3回Webセミナーでは,わが国におけるMGPTの医療実装に向けて,現在の動向や有用性のエビデンス,課題および診療体制について4題の発表がありました。私は,「国内のMGPTの動向~アンケート調査・臨床検査会社調査より」というテーマで発表し, MGPTの現状を知るためにJOHBOC認定施設に対して行ったアンケート調査の結果と,国内の臨床検査会社の状況を報告しました。
米国では2013年にMGPTが開始されており,2014年下半期からは乳がん患者に対してはBRCA単独検査よりもMGPTの方が増え,現在では,乳がん,卵巣がん患者の9割でMGPTが行われています。今回の国内アンケート調査は遺伝診療に関心が高い施設が対象となっていますが,回答のあった81施設中46施設でMGPTを実施していました。ただし,施行数としては自費診療ということもあり,年間6件以上行っている施設は非常に少ない状況です。
MGPTには,10種以上の遺伝子を調べるがん種特異的MGPTや数十種以上の遺伝子を調べる汎がん種MGPTがあり,臨床検査会社によって扱っている商品は多種多様です。今回,国内で遺伝性腫瘍のMGPTを提供するACTmed社,Ambry Genetics社を傘下に置くコニカミノルタREALM社,Igenomix社,Labcorp社のMGPT商品を調査しました(図2)。取り扱っているMGPTの種類はさまざまで,調べる遺伝子の数は1桁のものから200を超えるものまであります。ACTmed社は汎がん種MGPTのみ(全エクソーム解析を行い,該当遺伝子の結果を報告)で,ほか3社はがん種ごとのラインアップもそろえていました。
アンケートでMGPT施行施設が契約している検査の種類について聞いたところ,最も多いのが乳がん関連遺伝子(87%)で,次いで消化器がん関連遺伝子と汎がん種遺伝子(60.9%)でした。また,多くの施設が複数のMGPTを契約していました(中央値3)。契約が1つだけという施設も9施設あり,おそらく診療科単位で扱っているものと思われます。
平沢:私たちの施設では,可能なかぎり多くの診断薬メーカーのMGPTとシングルサイト検査*3を入れています。精度管理上,血縁者は発端者と同じ検査法で行うことが望ましいためで,あらゆる状況に対応することをめざしています。
(司会)吉田:複数のMGPTを契約している場合に,何を基準に使用するMGPTを選びますか。
平沢:遺伝子の種類・数や解析方法を重視しますが,保険未収載のため値段も選定する根拠となります。MSI検査*4陽性でリンチ症候群疑いであればMMR*5遺伝子を含む診断キットにするなど,目的に合わせて選択しています。また,バリアントの解釈などに対する問い合わせに柔軟に対応してもらえる衛生検査所や診断薬メーカーが望ましいと考えます。
鈴木:検査を選ぶクライエント側と医療者側とで視点や感覚がイコールではないので,難しいですよね。例えば,同じ値段であればより多くの遺伝子を調べられる方がいいのではと言われることもあります。クライエントには各社の検査について,調べる遺伝子や価格を一覧にした表を見てもらい,細かく説明して選んでもらっています。「あなたの家族歴だとこれが適しています」と勧めたりもしますね。クライエントにはよく「携帯の契約みたい」と言われます。でも,携帯と違って乗り換えはなく,基本的に一生に1回の検査です。がん種特異的な背景があり,選びやすいクライエントが多いですが,家族歴がなく若年なので広く検査したいと,汎がん種MGPTを選ぶ方もいます。
櫻井:現時点では汎がん種MGPTも比較的安価に提供されているので,そちらを選ぶ傾向もありますが,そこまで必要かなと思うこともあります。
(司会)吉田:発症者なのか未発症者なのかでも変わってきますね。アンケート調査でMGPTを施行したクライエントについて聞いたところ,最も多いのが乳がん発症者,次いで消化器がん発症者,そして3番目ががん未発症者でした。未発症者への施行が思ったよりも多く,未発症者がどうやってMGPTにたどり着いたのかも気になります。米国のクライエントは未発症者が最も多いのですが,米国ではシングルサイト検査が多い一方で,日本の未発症者クライエントには血縁者はほぼ含まれていないと思われます。これには保険制度も影響しているでしょう。
“クライエントの生涯を診る”遺伝医療の視点
(司会)吉田:MGPTの施行理由については,「BRCA検査陰性で,BRCA以外の遺伝性腫瘍が疑われた場合」が74.4%と最も多く,次いで「MSIやMMR検査の結果,リンチ症候群以外の遺伝性腫瘍が疑われた場合」(23.3%),「APC*6以外の遺伝性ポリポーシスが疑われた場合」(18.6%)です。その次に「MyChoice検査*7が陽性で,BRCA以外の遺伝性腫瘍が疑われた場合」(11.6%)が続きますが,これはhigh-grade serous(漿液性腺癌)などで施行されたものと思われます。
平沢:卵巣がん(卵管がん・腹膜がんを含む)は検査前予測確率約15%でBRCA1/2陽性となるため,HBOC診療ガイドライン(2021年版)でも全例に施行するよう示されています。本来であれば治療法選択のためのMyChoice検査の前に,全例にHBOC診断目的でBRCA1/2遺伝学的検査を行うべきです。
鈴木:婦人科でコンパニオン診断目的に行ったMyChoice検査が陽性で,さらにMGPTを行うというのは金銭的かつ心理的なハードルがあり,MGPTにつながりにくいと思います。でも,時間が空いてしまうと検査されずに終わってしまうので,タイムラグなくMGPTを提供できるのが理想です。
平沢:消化器がん発症者へのMGPT施行が多いことからも,必要性を感じている医療者が多いのだと思います。
(司会)吉田:ポリポーシスのような特徴的な表現型だと,遺伝に関心のある消化器科の医師はAPC陰性だけれど本当に大丈夫かと心配して,「クライエントを説得してMGPTを施行してほしい」と依頼されることも多いですね。ポリポーシスでもAFAP*8だとAPC陰性になるケースが多く,どのように対応すべきか迷いますね。
鈴木:施行理由として「BRCA検査陰性で,BRCA以外の遺伝性腫瘍が疑われた場合」が最も多いですが,BRCAを二度調べていると考えると医療経済的な損害を感じます。BRCA以外の遺伝性腫瘍を疑う背景があるなら,最初からMGPTを行った方がいいかもしれません。
平沢:同感です。
(司会)吉田:卵巣がんは2020年にBRCA病的バリアントの有無によらずオラパリブの投与が可能になってから,BRCA検査が減っていると感じます。あとからFoundationOne検査*9でBRCA陽性が見つかったりしていますね。
平沢:卵巣がんの診断がついてBRCA検査を施行しないのは,検査前予測確率約15%の疾患(HBOC)を見逃すことになります。卵巣がんでは診断がついた時点で,全例にBRCA1/2遺伝学的検査を行うのが望ましいです。
(司会)吉田:一方,乳がんについては,2022年8月にオラパリブがBRCA陽性かつHER2陰性のアジュバント(術後薬物療法)に適用拡大されたことを受け,治療に直結することからBRCA検査が増えていると感じます。
平沢:担当医とクライエント,その血縁者が情報を共有するのは,早ければ早いほど効果があります。
櫻井:ただ,乳腺外科で行われるBRCA検査の陽性率は相当低いですよね*10。アジュバント目的だと “陽性を探す検査”になるため,同じように陰性がデフォルトの術前心電図などとは違って,検査へのモチベーションが徐々に下がってしまうことが課題だと思います。
平沢:治療と考えると陽性探しが目的になりますが,体質を知るためと考えれば病的バリアントが同定されなかったというのも重要な結果で,知るメリットは大きいです。
鈴木:そういう意味では,私たち遺伝に携わる医療者が“クライエントの生涯を診る”という視点をしっかりと持ち,各診療科で遺伝子検査を行うにしても,治療の視点に引っ張られすぎないようにすることが大切だと思います。
「あいまい性」の理解やリスク管理がMGPTの課題
(司会)吉田:アンケートでは,「MGPTを施行する部門」についても聞いていますが,やはり臓器横断的ということで,約9割が遺伝診療部門でした。また,「ガイドラインに掲載のない遺伝子の病的バリアントが検出された場合のリスク管理の方針」については,NCCNガイドラインを使用するが9割以上,次いで,知り合いの遺伝の専門家に相談するが約4割でした。
鈴木:臨床検査会社に,検査結果の提供時にリスク管理に役立つ情報の提供をリクエストしたことがあるのですが,実現には至っていません。企業としては対応が難しいのでしょうか。
平沢:報告書は認証を受けた様式になっており,簡単に変更できないのだと思いますが,衛生検査所へは,当事者にわかりやすい付属の報告書などを添付するなどの改善も期待しています。
(司会)吉田:アンケートでも,MGPTの課題については検査費用が高いという回答のほか,「リスク管理が不明な遺伝子が含まれている」「VUS*11率が高い」「自施設で対応できないリスク管理がある」「浸透率*12が低い遺伝子が含まれている」などの回答が多く,病的バリアントが認められた場合のリスク管理に課題を感じている様子がうかがえます。
櫻井:VUS率が高いというのは,ほかの課題と違って解決できないことです。2022年に改定された「医療における遺伝学的検査・診断に関するガイドライン」3)でも遺伝情報の特性として「あいまい性」が追加されていますが,VUS率が高いこと自体が課題なのではなく,VUSがどういうもので,どう対応するのかという意識・知識をいかに共有するかが課題と言えます。
(司会)吉田:リスク管理においてはガイドラインが重要ですが,図3右に検査会社4社のMGPTで調べる遺伝子のうち何%が国内のガイドラインに掲載されているかをまとめました。扱っている遺伝子数に違いがあるため,掲載率もかなりバラツキがあります。図3左は遺伝子ごとの国内のガイドライン一覧ですが,なかにはあまり改定されていないものもあります。各ガイドラインを継続して改定していくことは大変なので,分野を広げたガイドラインがあるといいのではないかと思います。アンケートでも,MGPT頻出遺伝子を扱ったガイドラインが必要との回答が99%でした。また,MGPTの保険収載についても91%が必要と答えています。
MGPT活用に求められるガイドライン整備
(司会)吉田:次に,平沢先生より第3回Webセミナーでのご講演「実地診療から考えるMGPTの有用性と課題」についてご紹介いただきます。
平沢:MGPTはランダム化比較試験や大規模研究が難しいため,有用性を示すためには症例報告などの積み重ねも大切です。WebセミナーではMGPTが有用だった症例を報告しました。また,併せてENIGMAコンソーシアムが2018年に報告した,日本を含む世界20か国・61センターを対象とした「BRCA1/2以外の乳癌・卵巣癌関連16遺伝子の遺伝学的検査と診療ガイドラインに関する実態調査」4)を紹介しました。ENIGMAの調査によると,16遺伝子すべてにおいて単一遺伝子検査よりもMGPTが多く行われていました。また,13遺伝子については,約9割が「ガイドラインが整備されている」と回答しました(図4)。日本では16遺伝子のうち,TP53,PTEN,STK11,NF1,MEN1以外はガイドラインが未整備の状態で,人口の少ないチェコやデンマークでも日本以上にガイドラインが整備されています。日本ではエビデンスがないとガイドラインを作れないのに対し,海外ではしっかりとした前向き臨床研究に基づくデータでなくても,まずはガイドラインを整備して運用しながらデータを作っているものと考えられます。こういった医療はエビデンスの構築に時間がかかるため,私たちも「歩きながら」整備していく必要があると思います。
MGPTはすでに,世界では広く活用されています。私たちはMGPTを聴診器や心電図と同じように考え,がん発症者でも未発症者でも,健診・予防医療でも保険診療でも,幅広い年代の方に活用できる位置づけにしなければならないと考えます。そのためには,医療者においてはエビデンスの構築とガイドライン作成,症例報告による有用性の提示,診断薬メーカーにおいては薬機法上の機器承認と国民への有用性の周知,当局においては遺伝科(仮称)として厚生労働省標榜診療科化と予防医療・先制医療に対する公的支援に取り組むことが,喫緊の課題と考えます。がんゲノム医療は,発症予防と未発症者を対象に実装されて初めて,国民のがん死低減が可能になります。
(司会)吉田:やはり,ガイドラインの早急な整備が求められますね。ENIGMAの調査報告にあるように,がん領域の検査は単一遺伝子からMGPTの時代へと移っていますが,全エクソーム解析が可能になり,これからgermlineの検査はどうなっていくと思いますか。
平沢:私は,全エクソーム解析や全ゲノム解析が実装されても,質が担保された臨床検査としてのMGPTは引き続き臨床的有用性があると考えます。
櫻井:がんゲノムではないですが,海外では全ゲノムを解析した結果がセット化されて,必要な情報だけ簡便に見られるサービスも提供されています。臨床現場を困らせてしまうような余分な情報が入らないがんパネルや循環器パネルには意味があり,種類は整理されつつもパネル検査はしばらく続くと思います。
鈴木:ようやくBRCAがどの病院の乳腺科でも検査に出せるようになりつつあり,今後は乳がん9遺伝子のMGPTのようなものが出てくるのではないでしょうか。
櫻井:汎がん種MGPTは遺伝医療部門で行い,各診療科では10遺伝子程度のミニパネルを臨床実装していくような役割分担になっていくかもしれません。
鈴木:そのような形で保険収載となった場合に,遺伝子検査を一生に1回に限って承認してしまうと,パネル検査を施行しにくくなってしまうため,保険収載のあり方の検討も重要になりますね。
診療体制構築に向けた説明ツールの開発
(司会)吉田:第3回のWebセミナーでは,鈴木先生に「MGPTの診療体制の構築と説明ツールの活用」をテーマに,説明ツール作成の背景や過程,作業工程などについてご報告いただきました。
鈴木:説明ツール作成のきっかけは,2016年度に研究ベースでMGPTを導入した際,検査前の説明資料や検査後に遺伝子に病的バリアントが見つかった場合に使える説明資料がなかったことです。その後,当施設でも自費診療として導入したり,検査会社とやりとりをする中で,どの会社の検査でも使える汎用的な資料がないことが大きな課題だと感じました。そこで今回,櫻井班の皆さんと,検査会社や検査項目に関係なく,複数の診療科で利用できる検査前説明資料を15ページほどの冊子にまとめました(図5)。クライエントが理解しやすいように,原因遺伝子とがん発症リスクの説明では,低・中・高リスクというシンプルな表現にしています。これは,検査会社が示すような遺伝子ごとの発症頻度などのグラフは,クライエントの選択に直結しないと判断したためです。検査の種類の説明ではメリット・デメリットという言葉は使わず,MGPTと単一遺伝子検査の目的や特徴,費用などの比較表を示し,クライエント自身に検討をうながす内容にしています。また,検査で得られる結果と解釈,そして,不確実性という限界があることも記載して,検査前に理解を深めてもらうことをめざしました。
検査結果の説明資料については,どの遺伝子に病的バリアントが見つかるかわかりませんし,結果に合わせてその都度,自施設で遺伝子ごとの情報をまとめて資料を作るというのも,人的リソースや専門職・部門の有無の面で難しいと考えました。また,サーベイランスについては,自施設でできるものとできないものがあります。それを踏まえて考案したのが,Excelを活用したファクトシートです(図6)。55遺伝子に対応し,プルダウンから遺伝子名を選択するだけで,臓器ごとの一般的な日本人のがん発症率(参考)や発症する可能性,対応方法が自動的に表示されます。もちろん結果の解釈は,クライエントのこれまでの治療内容や家族歴によって変わるため,医療スタッフと十分に相談の上,対応を検討することが大切であることをメッセージとして記載します。また,今後のサポートや院内外の連携,相談窓口先,担当者や検査結果説明日などの記載は各施設でカスタマイズできるようにしています。なお,ファクトシートに用いるデータは,MONSTAR-SCREEN-2*13のファクトシートより引用・抜粋しており,新しいデータに常に更新できるように工夫していく予定です。クライエントに渡す際には,遺伝子ごとに1枚の説明資料として印刷できます。
これら資料・ツールについては,希望する施設・部門を募り,実際に使用していただいてアンケート調査を実施するなど,実装に向けて取り組んでいきたいと思います。
MGPTの診療体制の構築に向けては,限られた人材・資材を有効に活用し,誰もが検査前後の説明にかかわれるように,教育の場や資料の準備が必要です。遺伝医療部門や認定遺伝カウンセラーは,遺伝の特性について相談してもらえる連携体制を作ることがより大切になってくると思います。医療者が感じる検査に対してのメリット・デメリットをクライエントが同じように理解し,共有できるかが非常に重要で,そのためにも資料やツールの作成を急いでいるところです。制作物の内容を継続的に更新していくことに加え,MGPTへの理解を深めるための教育・啓発のコンテンツやセミナーなどの場を作っていくことが必要だと考えています。
平沢:すばらしい取り組みだと思います。
(司会)吉田:このような取り組みでは,アップデートや継続性というのが課題になりますね。
鈴木:そうなんです。臓器別ガイドラインなどは,学会で数年に1回更新して内容をアップデートしていきますが,MGPTは臓器横断的なものなので,班研究終了後の継続方法も併せて検討しています。
(司会)吉田:さまざまな領域の臨床においてすぐに必要とされるツールであることを考えると,ある程度公的なサポートがあることが望ましいですね。継続させるためにはどのような可能性があるでしょうか。
櫻井:遺伝に関しては,基礎研究に軸足があるのが日本人類遺伝学会だとすれば,臨床実装に軸足を置くのが日本遺伝カウンセリング学会だと言えます。日本遺伝カウンセリング学会で,学会のプレゼンスを高めるという意味も含めて,その役割を担うことも考えたいと思います。
鈴木:日本遺伝カウンセリング学会のWebサイトでは,一般向けと医療者向けに資料室を設置しているので,そこで扱ってもらうことも検討したいですね。
遺伝性腫瘍診療のさらなる展開には活動母体が必要
(司会)吉田:座談会では,臓器も世代も横断する遺伝性腫瘍について,取り組みを継続していくことの重要性が改めて確認できたと思います。現時点ではまだ,継続するための適切な母体がない状況ですが,最後に厚労科研研究班にどのようなことが期待されているか,また,MGPT活用のために何が必要かについてコメントをいただけますでしょうか。
櫻井:研究班として2014年から9年間取り組んできた中で,MGPTが臨床に実装され,その活用のための課題が今ようやく見え始めたところだと思っています。やらなければいけない仕事,解決しなければならない課題がたくさんあり,それに取り組むためには活動母体が必要であると強く感じています。
平沢:わが国では,ガイドラインにおいて管理指針が定まっていない遺伝性腫瘍や,遺伝性腫瘍診断のための遺伝学的検査に関するガイドラインなどの整備が重要です。本研究班は2022年度末で終了しますが,今後はこのようなガイドラインを整備する継続研究班が必要と考えます。
櫻井:そうですね。ガイドラインという言葉にこだわらず,手引きでも指針でもいいので,まずはエキスパートオピニオンを発信していくことが重要だと思います。
鈴木:現在は,がんに限らずMGPTが利用されるようになっているので,それぞれの診療科が持つMGPTに対する価値観や足並みをそろえることも大切だと思います。診療科によって説明が異なってクライエントを困らせることがないように,統一的な説明資料が必要です。小児の難病などゲノム医療がかかわるところから広く意見を集めて資料の充実を図ることがクライエントや血縁者のためになっていくと思うので,そのような役割も研究班が担えるといいですね。
(司会)吉田:海外のガイドラインを翻訳するだけなく,国内におけるコンセンサスをとることが重要ですね。
櫻井:国内ではまだ,NCCNガイドラインの翻訳にとどまっている段階です。そこから一つ前に進めて,遺伝性腫瘍診療の標準化と均てん化を推進するには,主体となる組織が必要だと改めて感じています。
(2022年12月11日実施)
●参考文献
1)日本遺伝性乳癌卵巣癌総合診療制度機構(JOHBOC):遺伝性乳癌卵巣癌(HBOC)診療ガイドライン 2021年版.
https://johboc.jp/guidebook_2021/
2)厚生労働科学研究費補助金(がん対策推進総合研究事業)「ゲノム情報を活用した遺伝性腫瘍の先制的医療提供体制の整備に関する研究」班,日本遺伝性乳癌卵巣癌総合診療制度機構(JOHBOC):みんなのためのガイドブック 2022年版 遺伝性乳がん卵巣がんを知ろう!
https://johboc.jp/guidebook_g2022/
3)日本医学会:医療における遺伝学的検査・診断に関するガイドライン. 2022年3月改定.
https://jams.med.or.jp/guideline/genetics-diagnosis_2022.pdf
4)Nielsen, S.M., et al.:Genetic Testing and Clinical Management Practices for Variants in Non-BRCA1/2 Breast (and Breast/Ovarian) Cancer Susceptibility Genes: An International Survey by the Evidence-Based Network for the Interpretation of Germline Mutant Alleles (ENIGMA) Clinical Working Group. JCO Precis. Oncol., 2, 2018.
doi: 10.1200/PO.18.00091.
*1 コンパニオン診断:治療薬の効果や副作用を予測するための臨床検査
*2 第1回「HBOC診療と乳癌サーベイランスにおけるMRIの役割」2021年3月13日開催,第2回「遺伝性乳癌卵巣癌(HBOC)診療ガイドライン2021年版の解説」2021年8月7日開催
*3 シングルサイト検査:BRCA1/2で病的バリアントが検出された際の血縁者向け検査
*4 MSI検査:マイクロサテライト不安定性(MSI)検査。DNA修復(ミスマッチ修復)システムの異常と関連する。
*5 MMR:ミスマッチ修復
*6 APC:家族性大腸腺腫症の原因遺伝子
*7 MyChoice検査:HRD(DNA修復機構の一つである相同組換え修復に異常がある状態)およびBRCA1/2遺伝子変異を検出する検査で,オラパリブの適応判断に用いられる(Myriad genetics社)。
*8 AFAP:attenuated familial adenomatous polyposis(軽症型の家族性大腸ポリポーシス)
*9 FoundationOne検査:保険適用となっている固形がん患者を対象としたがんゲノム検査(Foundation Medicine社)
*10 乳がん患者のBRCA1/2病的バリアント保持率は約3〜5%
*11 VUS:臨床的意義が不明のバリアント
*12 浸透率:病的バリアントの発現頻度
*13 MONSTAR-SCREEN-2:肺がん以外の進行固形がんを対象にしたマルチオミクス解析の産学連携プロジェクト
●関連学会等
・日本遺伝性乳癌卵巣癌総合診療制度機構(JOHBOC)
http://johboc.jp/
・厚生労働科学研究費補助金がん対策推進総合研究事業「ゲノム情報を活用した遺伝性腫瘍の先制的医療提供体制の整備に関する研究」班
https://www.geneticsinfo.jp
・日本人類遺伝学会
https://jshg.jp
・日本遺伝カウンセリング学会
http://www.jsgc.jp
櫻井 晃洋(さくらい あきひろ) 氏
札幌医科大学医学部遺伝医学
1984年 新潟大学卒業。信州大学老年医学講座(内分泌内科),同遺伝医学・予防医学講座を経て,2013年から現職。日本遺伝カウンセリング学会理事長,日本人類遺伝学会理事,日本遺伝子診療学会理事,日本内分泌学会理事・北海道支部長。
吉田 玲子(よしだ れいこ)氏
昭和大学臨床ゲノム研究所
2002年 日本医科大学卒業。がん研有明病院乳腺センター,昭和大学乳腺外科,がん研有明病院遺伝子診療部を経て,現職。臨床遺伝指導医・専門医,遺伝性腫瘍指導医・専門医,外科専門医,乳腺専門医。遺伝性腫瘍のうち,特にHBOCをサブスペシャリティとする。
平沢 晃(ひらさわ あきら)氏
岡山大学学術研究院医歯薬学域臨床遺伝子医療学分野
1995年 慶應義塾大学卒業。慶應義塾大学産婦人科学などを経て,2018年から現職。日本人類遺伝学会理事,日本産科婦人科遺伝診療学会理事,日本遺伝性腫瘍学会理事などを務める。
鈴木 美慧(ずずき みさと)氏
聖路加国際病院遺伝診療センター
福島県出身。筑波大学生物学類卒業。お茶の水女子大学大学院にて修士号取得。認定遺伝カウンセラー®として公益財団法人がん研有明病院乳腺外科,学校法人聖路加国際病院遺伝診療センターに勤務。遺伝性腫瘍の相談・遺伝カウンセリングに従事。