2013-4-1
植野 映 先生
(筑波メディカルセンター
ブレストセンター長)
超音波診断装置で組織の弾性を画像化するエラストグラフィは,2003年,世界に先駆けてわが国で開発・製品化された技術である。筑波大学情報工学系の椎名 毅先生,臨床医学系の植野 映先生と日立メディコ社が共同研究・開発した超音波エラストグラフィは“Real-time Tissue Elastography(RTE)”と命名され,新しい診断法として国際的な注目を集めた。医工連携,産学連携の賜であるRTEは10年間で進化を続け,乳腺領域での臨床的有用性を確立するとともに,最近では上腹部,甲状腺,前立腺など,適応領域が拡大している。非侵襲的に質的診断が可能なRTEは今後,診断ストラテジーの変革をも促すことになるかもしれない。今回は,RTE開発者であり,その普及に関しても大きく貢献した植野 映先生に,歴史を振り返りつつ,技術の特長や今後の展望について語っていただいた。
●超音波エラストグラフィの歴史
─Real-time Tissue Elastography(RTE)開発の経緯
■動的検査(dynamic study)を考案
1984年にアロカ社(当時)から,眼科用のメカニカルセクタスキャナを応用したリアルタイム式乳房超音波診断装置が製品化されました。この装置を使ってリアルタイムの超音波検査を行っていく中で,腫瘍(腫瘤)の硬さが観察できることがわかり,動的検査(dynamic study)を考案しました。これは,リアルタイムで観察しながら,乳房に圧迫を加えて腫瘍の変形を見る検査法です。
翌1985年に私は,イギリスのRoyal Marsden HospitalのInstitute of Cancer Researchへ留学し,そこでphysics departmentのJeffry C. Bamber先生と動的検査の応用について共同研究を始めました。その成果は,1987年にニューオーリンズ(アメリカ)で開催された国際乳房超音波診断会議で初めて発表しています。
■エラストグラフィの萌芽
帰国後,筑波大学情報工学系助教授に着任された椎名 毅先生とともに,乳房超音波の基礎研究に改めて取り組み始めました。椎名先生もまた,Bamber先生の下に留学し,2年間ほど組織弾性映像法の研究を行いました。1990年代初めには,Texas大学のOphir先生らの発表で,「エラストグラフィ(elastography)」という名称が使われるなど,エラストグラフィの研究は国際的な流れとなりつつありました。
■椎名先生が複合自己相関法(combined autocorrelation method)を考案し,共同研究を開始
椎名先生は,イギリス留学中に複合自己相関法(combined autocorrelation method)を考案しています。当時はその有用性については未知数でしたが,帰国された椎名先生と臨床医学系との共同研究を再び開始しました。われわれ臨床医学系の方で,Bモード撮像後に乳がん摘出術を行った後,摘出標本を椎名先生の研究室へ搬送し,複合自己相関法を用いてエラストグラフィを描出するという方法で共同研究を進めました。浸潤性乳管癌の描出には難なく成功しましたが,ある時,Bモードでも診断が難しい非浸潤性乳管癌をきれいに描出できたと椎名先生から報告があり,予想外の結果に驚きました。初めてエラストグラフィの有用性が実証されたのです。
■製品化に向け,日立メディコ社と共同開発を開始
その後,エラストグラフィの製品化に向けて,日立メディコ社と共同開発を行うことになりました。日立の技術者は非常に優秀で,エラストグラフィの歪みの程度をカラー化することや,透過性のある画像にしてBモードに重ね合わせて観察することなど,素晴らしいアイデアを次々に出してきました。
カラー化当初は,腫瘍部(硬い部分)を赤に,正常部を青にしましたが,逆にして,腫瘍部を青にしたところ,後ろ側のBモードがよく透けて見え,診断しやすくなりました。カラー化することで,質的診断ができるというエラストグラフィの最大のメリットを生かすことになります。
■“Real-time Tissue Elastography”として装置に実装
われわれ臨床医学系と,椎名先生を中心とする情報工学系,そして日立メディコ社がチームを組んで,ディスカッションを重ねながらエラストグラフィの技術を高めていき,2003年に“Real-time Tissue Elastography(RTE)”と命名して装置に実装されました。
エラストグラフィの開発に成功したのは,椎名先生がイギリスから医工連携スタイルを持ち帰り,そこに,日立の技術者も加わって,素晴らしい発想が生まれたからだと思います。
●エラストグラフィの技術や機能の進化
■Tsukuba Elasticity Scoreを考案
診断能の向上に貢献
エラストグラフィの共同開発では,さまざまな技術や機能が考案されました。その1つが,低エコー域の色調を5段階に分けてスコア化した“Tsukuba Elasticity Score”(筑波エラストグラフィスコア)です。そして,その診断能を検証するために,当時筑波大学のレジデント5年生だった伊藤吾子先生がエラストグラフィで,東野英利子先生(当時筑波大学,現筑波メディカルセンター)と私がBモードで診断し,正診率を比較したところ,ほぼ同等の結果となりました。つまり,経験の浅い若手の医師でもエラストグラフィを使えば,エキスパートと同等の診断能が得られるということで,その高い有用性が証明されたわけです。
また,腫瘍の良悪性が確定できないため,結果的には不必要な生検などの侵襲的な精査を行うケースが少なくありません。そこで,Bモードで悪性腫瘍が疑われた症例にエラストグラフィを追加し,良性であることが確認できれば,侵襲的な検査をする必要はなくなります。これは,患者さんにとって大きな朗報ですし,医療費抑制の面でもメリットがあります。
■定量化に向けた取り組み
・fat lesion raito(FLR)
Tsukuba Elasticity Scoreは半定量的なため,より客観性のある定量的な診断が可能な方法の研究を進めました。そして,腫瘍と正常組織の硬さを比較して定量化することを考案し,性周期や年齢にあまり影響を受けない脂肪組織を比較(コントロール)の対象としたfat lesion raito(FLR)へと発展させました。
・音響カプラ
定量化のために,もうひとつ開発したのが音響カプラです。エラストグラフィでは,最終的にヤング率を求めるのですが,ヤング率がすでに判明しているものとの比が必要となります。そこで,音響カプラをプローブに装着して比を取ることで,正確なヤング率を求めることができます。今後は,装着の手間や保管が簡便に行えるような音響カプラの開発が求められます。
・Strain Graph機能
エラストグラフィは,圧を加えた時の組織の変化を画像化しますが,経験を重ねるうちに,圧を加える操作,つまり,プローブで押す速さは個人差が大きいことがわかってきました。加圧時のフェーズの計測では,この個人差が画像に与える影響は小さくありません。一方,変形した組織が自然に元に戻る時は,組織固有の変化となるため差が少ないことから,組織が戻るフェーズの弾性率を計測することを思いつきました。そこで,圧迫の状況を可視化するため,組織の歪みの時間変化を波形表示するStrain Graph機能を開発し,リアルタイムに圧迫の速さや周期を確認しながら,安定したフェーズで計測するようにしました。また,さらに安定したデータを得るために,Strain Graphを解析して,フレームを自動で選択する機能も開発しました。これは,平均化に有用であると考えています。
●エラストグラフィの今後の可能性
─適応の拡大,精度管理と基準の整備
エラストグラフィの適応は広がっていますが,乳がんのような固形がんが適していると考えています。最も可能性が高いのは,膵臓がんです。膵臓は深部にあるため圧迫が難しいのですが,超音波内視鏡を使ったり,大動脈の拍動を応用するといったアイデアが出されていますので,非常に有望だと思います。ほかにも,前立腺がんの診断にも有用でしょう。
また,乳がん検診への応用も期待されます。現在,厚生労働省の指定研究「乳がん検診における超音波検査の有効性を検証するための比較試験(J-START)」が検証段階に入っています。今回,エラストグラフィはこの評価項目に入っていませんが,要精検率を下げるために力を発揮すると思われますので,スクリーニングに導入されることが望ましいと考えています。
将来的には,エラストグラフィの保険収載も望まれますが,そのためには,精度管理が大切です。現在,各社でエラストグラフィの開発が進められていますが,精度を担保する基準がないため,その整備が今後の課題のひとつとなるでしょう。
(2013年2月6日 取材)
1976年 東京医科大学医学部医学科卒業。81年 自治医科大学附属病院助手。83年 筑波大学講師。86年 英国Royal Marsden Hospital研究員。87年 筑波大学講師。2004年筑波大学大学院人間総合科学研究科助教授。2006年 筑波大学附属病院乳腺甲状腺内分泌外科病院教授の称号授与。2009年 筑波メディカルセンター・ブレストセンター長・診療部長。2012年 筑波メディカルセンター専門副院長・筑波大学医学群臨床教授。