METISからの提言―日本の医療機器・技術によるヘルスケア戦略―
第9回 医療機器開発研究の発展のために 国立国際医療研究センター 桐野高明 氏
広がる医療機器の輸入

日本は原料を海外に依存し,それを加工した製品を海外に輸出することで国の経済を支えてきた。自動車,家電などの分野で,日本の精密で堅牢な工業生産品は高い評価を受けてきた。筆者は,1980年代の初めに米国留学の機会があったが,米国では日本製品は好まれ,また信頼されていた。それを感じて,なんとなく誇らしい気持ちになったことを記憶している。そのころはやった映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」では,至るところに日本製品が氾濫していた。タイムマシーン「デロリアン」の故障の原因が日本製のICチップにあったことを発見したブラウン博士が「なーんだ,日本製だ(故障するのも当たり前だ)」と言ったのに対し,主人公のマーティに「何言ってんの,日本製は高級さ」とまで言わせている。博士の感覚はタイムマシーンで行った50年代,マーティの感じ方は80年代のものである。30年の間にこれだけの大きな変化があった。80年代は,日本の工業製品のピークの時代であったと記録されるようになるのだろうか。

医療機器も,広い意味で日本の得意種目の工業生産品の中に入る。したがって,自動車,テレビ,時計,カメラなどに伍して,世界の至るところで愛用されていてもおかしくはない。しかし,残念ながら,必ずしもそれは実現していない。それでも90年代に入るころまでは,日本の医療機器の輸出入統計ではほぼ総額が拮抗していた。その後急速に輸入額が増加し,この数年輸出額の約5000億円に対して輸入額は約1兆1000億円に拡大し,貿易収支は6000億円を超える赤字になってきた。これは,はたしてどういうことであろうか。

医療機器メーカーに期待されること

自動車や家電のメーカーほどの規模ではないにしても,日本の医療機器メーカーが国際的に頑張ってきたことはよく知られている。独創性を発揮した医療機器も,わが国から生み出されている。米国生体医工学会は,最も優れた医療機器をリストしている (AIMBE Hall of fame)。その中には,超音波診断装置,内視鏡,パルスオキシメータのように,日本の発明品も挙がっている。日本が製造する非常に優れた医療機器は,いまでも多い。内部の部品に至っては,信頼性の高い日本製部品を使っていない機器が珍しいくらいだ。

90年代以降のわが国の医療機器開発の伸び悩みに関しては,長期的に続く円高が輸入を後押ししてきた上,政府調達分野での輸入促進策の影響もあった。また,医療機器の種類を見ると,日本が比較的強い診断機器よりも,最近は,カテーテルなどの治療機器の需要が大きく伸びてきている。日本の治療機器の開発が遅れてきたことも,伸び悩みの要因とされる。しかし,医療機器は多種多様であり,今後も成長する分野であることを考えると,改めて確認するまでもなく,日本がこの分野に参画していき成功することは大いに期待できることだ。

政府の『新成長戦略〜「元気な日本」復活のシナリオ〜』においても,7つの戦略分野の2番目として「ライフ・イノベーションによる健康大国戦略」が掲げられている。そして,その具体的な項目として「日本発の革新的な医薬品,医療・介護技術の研究開発推進」が挙げられ,「安全性が高く優れた日本発の革新的な医薬品,医療・介護技術の研究開発を推進する。産官学が一体となった取り組みや,創薬ベンチャーの育成を推進し,新薬,再生医療等の先端医療技術,情報通信技術を駆使した遠隔医療システム,ものづくり技術を活用した高齢者用パーソナルモビリティ,医療・介護ロボット等の研究開発・実用化を促進する。その前提として,ドラッグラグ,デバイスラグの解消は喫緊の課題であり,治験環境の整備,承認審査の迅速化を進める」とされている。

日本の医療機器メーカーがますます実力をつけ,世界で愛用される医療機器の開発において,その実力を発揮することが大いに期待されている。

開発の基盤

わが国の医療機器メーカーからは,実力を発揮する上で,日本特有の弱点のようなものが障害になっているという話をよく聞く。過剰なまでに諸規制が多種多様で煩雑なこと,商品にして販売するまでに通過すべき承認申請にあまりに時間がかかること,一度承認された機器の改良がとても難しいこと,商品化できてもその価格が低く抑えられる場合があること,などである。

しかし,わが国の消費者の要求レベルが非常に(時には不必要なほど)高いのは,さまざまな製品に共通する問題でもある。非常に高いレベルで製作された日本の機器は,堅牢で信頼性が高く,そして美しくさえある。これが日本製品の好まれる大きな理由だ。医療機器も,このようなわが国の特徴を上手に利用しつつ開発するのが良いと思われる。さまざまな障害があることは事実だろうし,1品目の年間売上が比較的小さく,中小のメーカーが多い医療機器業界には,独自の悩みがあることはよくわかる。しかし,自社の研究室だけに限定せず,外のアイデアを参考にして開発の基盤を強化してはどうだろうか。そして,協力して共同開発するとすれば,その相手として最も適しているのは,大学附属病院ではないかと思う。

2004年に国立大学が法人化され,大学は法人格を有するようになり,独自に外部との間で契約をすることが可能となった。それまでは,国立大学附属病院には“経営”というものはなかった。確かに予算の限度内で医療を行う必要はあったが,なにしろ,医療収益と医療にかかる費用とは何の関係もない公会計の世界にあったので,経営を良くするというのは,単純に言うと,拡大する医療費を何とか予算の範囲内に収めるという以上のものではなかった。また,国立大学では,伝統的に外部の企業と協力して研究開発をすることは推奨されてこなかった。精神的には,むしろ冷酷に見られていた。国立大学附属病院の医師は,わが国の臨床医学研究を中心となって担ってきたし,新しい医療機器を開発してみようという気持ちがなかったわけではない。ただ,熱心に医療機器開発に取り組んでも,すぐに知財の問題,資金の問題,治験の問題などにぶつかり,情熱を長期間持続することはほとんど不可能であった。可能性が生まれてきたのはやっと最近である。それも,法人化がスタートし大学の諸活動の制限が緩和されるようになって,まだ7年にしかならないのだ。

医療機器の新規開発に取り組もうとする企業は,医療機器のシーズやアイデアの大きな源泉の1つであり,また,開発後の使いやすさの改善や,安全性の向上のための情報元でもある大学附属病院を重視するべきだろう。大学附属病院との良好で対等な関係を築いていくことが,戦略として非常に重要ではないだろうか。

総合力の勝負

研究開発というのは,これからどうなるかわからない事業に資金と人材を投入するということに,他ならない。企業のあらゆる方針が,ある程度の不安定性と予測困難性を抱えていることは事実としても,研究開発ほど不確定要素の多いものではないだろう。良いと思って開発研究に取り組んでも,長年の努力の結果がむなしい結末に終わることが薬剤開発などではまれではない。医療機器の場合も,現場のニーズをよく把握し,そのニーズに応えられるように実用化可能な最新の素材や技術を組み合わせて実際の医療機器にしていくのは,技術者の力だろう。ただ,現場のニーズがあり,技術者に卓越した能力があれば,後は自然に製品が出来上がるわけではない。上流さえよければ,後は努力次第で何とでもなるというリニアモデル的発想ではうまくいかない。製品さえ良ければ,後の業務を担う人材については,OJT方式で現場で鍛えていけば大丈夫というわけでもない。

医薬品や医療機器の開発研究が,先進諸国の中でも限られた国でしか行われていないのはなぜか。そうならざるを得ない要因があるからだろう。それは,開発研究の成果が必ずしも短期間で収益を生み出しにくいという特徴だけによるわけではない。開発の周辺には,多数の専門的職種がすでに育っていることが求められる。したがって,シーズの創出力や,それを現実のモデルにする技術力という直接的な力が発揮される基盤として,高度な技術レベルを支える医学・生物学や工学の教育レベルの高さが必要になる。何と言っても,医薬品や医療機器は,ヒトの臨床医学の実用に足るものであるという条件も重要だ。そのためには,安全な素材で長期的に利用できる機器をつくり,それを検査して保守管理し,改良する技術者が必要だ。また,単に技術的な問題だけではなく,法制上の諸問題,知財とライセンス化の問題,国際的な商品とするために規格の問題,実際にヒトに応用する段階での治験,その後の改良作業など取り上げるときりがないほど,多くの人材が関与すべき仕事だ。

要するに,医薬品や医療機器の新規の開発というのは,一国の総合力に依存せざるを得ない産業なのだ。したがって,この分野を強化しようと考える場合,1人の個人が思い立ったとしても,その周辺にそれをサポートする人材の基盤がなければ,その個人の夢は夢想に終わってしまう。と言うことになれば,当然,社会的な基盤として,人材育成のシステムが成熟していることが求められる。わが国が工業分野において戦後急速に成長したのは,それに対応する優秀な理工系の人材を大量に養成する教育システムを成立させてきたからだとも言える。

日本は工業製品の開発において,戦後見習うべきモデルとして米国を想定してきたように思う。大量生産や品質管理のやり方については,ある時点でその先生である欧米諸国を追い抜き,日本が学ばれる対象にさえなった。工業製品については,近年製造物に関する生産者の責任が重くなったとは言え,いまだ市場的な競争の世界の中にある。しかし,医療機器については,単純に市場的競争の中の商品開発とは言い難い。その困難さを克服するために見習うべきモデルは,米国にあると単純に言えるのであろうか。米国は,医療を個人が自己責任で購入するサービスと位置づけ,個々人は民間の保険会社(最近はHMO)との個人契約によって医療費を支払っている。このような国においては,医療機器の開発や商品化,価格設定などには大きな自由度がある。だからと言って,わが国で米国型の開発モデルをそのままコピーして持ってくることはできない。また,そのような開発方式がわが国でできないからと言って,わが国が長年維持してきた国民皆保険制度を破壊してしまうという発想が適切かどうかはよく考える必要がある。英国の医学雑誌Lancetは,わが国の保険医療制度,特に皆保険制度は成功であったと評価し,最近その特集号を発刊したくらいだ。米国とは医療制度が異なる西ヨーロッパ諸国においても,医療機器開発は行われている。寡聞にして,その詳細はよく知らないが,わが国の医療機器メーカーには,西ヨーロッパ諸国の人材育成と開発方式に関する研究が必要ではないかと思う。

医療機器開発は総合力の勝負だ。国として,医療機器の開発のようなリスクのある分野を強化していくというのであれば, 1つには,人材の育成に力を入れることが必須であり,一方では,開発を行う上で米国モデルを単純にコピーすることをやめ,新しい方式についてのわが国独自の工夫が必要ではないかと考えられる。

 

◎略歴
1972年東京大学医学部卒業,79年東京大学医学部附属病院脳神経外科医員。80年米国国立衛生研究所(NIH)へ留学。82年帝京大学医学部脳神経外科に勤務。92年東京大学大学院医学系研究科脳神経外科学教授,99年東京大学医学系研究科長・医学部長,2003年東京大学副学長。2005年国立国際医療センター研究所長,2008年国立国際医療センター総長,2010年独立行政法人国立国際医療研究センター総長,現在に至る。

(インナービジョン2012年1月号より転載)
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