METISからの提言―日本の医療機器・技術によるヘルスケア戦略―
第1回 日本の医療機器産業の課題と成長に向けた処方箋 テルモ株式会社 代表取締役会長 和地孝
2001年(平成13年)3月に設立された,産官学連携の先駆とも言えるプロジェクト「医療技術産業戦略コンソーシアム(METIS)」。革新的な日本発の医療機器の研究開発を促進し,国際競争力を高めるために,産官学が一体となって活性化を図る活動を続けている。そこで今号から9回にわたって,METIS委員による日本の医療機器・技術によるヘルスケア戦略についての提言を掲載する(不定期連載)。─医療はコストから産業へ!─
はじめに

日本の国際競争力の低下が止まらない。先日発表になった『2010年世界競争力年鑑』において,日本の総合順位は58か国・地域で27位と,前年の17位から急落した。当然,中国,韓国,台湾にも抜かれている。前年でさえ日本の競争力低下に警鐘が鳴らされたが,この落ち込みようは危機的状況をも通り越している。日本国内の成長率低下や対内直接投資の低迷,さらには少子高齢化に伴う労働人口の減少が影響していると思われる。リーマンショック以降,欧州の一部を除き,米国をはじめアジアもいち早く回復を見せたにもかかわらず,日本経済は景気の闇からなかなか抜け出せないでいる。政治の混乱もその一因ではあるが,国内企業の世界における相対的な競争力低下は否めない。

このような中,ヘルスケア分野に対する国の期待は大きい。6月には菅新総理による『新成長戦略』が閣議決定され,医療・介護・健康関連サービスなどの「ライフ・イノベーション」を国の成長分野として掲げることが明確に示された。2020年までに当該分野で約50兆円の新規市場と,284万人の新規雇用を創出し,医療関連産業を日本の成長牽引産業に位置付けると謳われている。もっとも,この成長戦略のほとんどが鳩山前政権下で検討されたこともあり,その実効性には若干の疑問符が付く。しかし,世界一の高齢化社会をひた走る日本の成長戦略から,今やヘルスケアは抜くことができない分野であることは間違いない。

日本の医療機器政策の変遷とMETIS

医療機器産業に注目が集まり始めたのはそう古い話ではない。私が日本医療機器産業連合会(以下,医機連)の会長を仰せつかった平成15年頃と言えば,医療の主役は医薬品であり,医療機器は「医師の道具」に過ぎず,脇役的な扱いであった。ようやく光が当たり始めたのは,実は自民党小泉政権時代である。平成18年の「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2006(いわゆる『骨太方針2006』)」に,医療機器の国際競争力強化に向けた治験環境の充実等が明記された。この流れは,同年9月に発足した安倍内閣で加速された。安部首相の肝いりで始まった「イノベーション25」,「新健康フロンティア戦略」では,従来の医薬品偏重の議論ではなく,革新的な医療機器開発に向けた議論に多くの時間が費やされた。私も新健康フロンティア戦略の委員を任命され,寝たきりにさせないための予防の重要性とそれを支える医療機器開発,さらには受け入れ側の施設整備の重要性について意見を述べたと記憶している。この一連の流れを受けて,平成19年4月に取りまとめられたのが「革新的医薬品・医療機器創出のための5か年戦略」いわゆる「5か年戦略」である。従来,この手の国の政策では,“医薬品等”の“等”に医療機器が含まれてきたが,医療機器が明確に浮き彫りにされたのはこれが初めてであった。5か年戦略は平成21年に見直しが行われ,デバイスラグの解消に向けた「医療機器の審査迅速化アクションプログラム」が盛り込まれた。審査人員の増員や3トラック制の導入など,産業界の悲願であった要望事項が取り入れられたと言える。

国が医療機器産業へ関心を寄せ始めたことと,医療技術産業戦略コンソーシアム(以下,METIS)の活動とは決して無関係ではない。私が最初に議長を仰せつかった第2期METIS(平成16〜19年度)では,国として取り組むべき7つの重点テーマを選定し,各々の開発戦略について取りまとめを行った。さらに,広く国民へ医療機器の認知度を向上させるために「医療機器市民フォーラム」を立ち上げ,現在も毎年開催されるに至っている。また,議長再任となった第3期(平成20〜21年度)では,未承認機器による臨床研究の実施が行えない現状に切り込み議論を深め,結果として厚生労働省からガイドライン提示に至っている。

医療機器開発における課題解決に向けた取り組みが少しずつ動き始めてはいるが,まだまだその内容およびスピードには満足できるものではない。グローバルで戦っているわれわれ企業に取って,お膝元である国内市場の開発インフラがおぼつかない現状では,非常に苦しい戦いとなる。そこで,日本の国際競争力を高めるための喫緊の課題として,次の5点を挙げる。

医療機器開発における課題と解決に向けた方策
1)未承認機器による臨床研究実施
医療機器は,臨床現場での改良・改善を伴って安全性や治療効果の向上が図られる点で医薬品とは大きく異なる。ところが薬事法では,改良・改善を施したいわゆる「未承認医療機器」を企業が臨床研究目的で医師へ提供することを認めていない。医師主導の臨床研究における未承認医療機器の提供については,平成22年3月31日付け薬食発0331第7号「臨床研究において用いられる未承認医療機器の提供等に係る薬事法の適用について」で明確に定められた。しかし,本通知では,企業が製品化を目的として開発した未承認医療機器を用いた臨床研究は認められていない。また,医師との共同研究開発による医療機器の臨床研究についても,不明確な取り扱いのままである。医師主体の臨床研究のみならず,企業要望の臨床研究をも円滑に進めることができるよう,臨床研究制度の改善が急務である。

2)部材供給の活性化
医療機器は電気・電子部品から高分子化合物など幅広い部材・部品により構成されているが,部材供給メーカーが,製品事故が起きた場合の訴訟リスクや風評被害を恐れ,供給を躊躇する事例が数多く報告されている。特に埋込型の治療機器では顕著であり,新たな医療機器開発のみならず,既存製品の安定供給にも影響を及ぼしている。米国では,BAA法(Biomaterials Access Assurance Act)で埋込用途の部材供給メーカーはPL訴訟から免責されている。日本においても,PL法の中で埋込用途の部材を部材メーカーが安心して供給できるような規定を設けることが望まれる。

3)審査の迅速化
医療機器審査の迅速化に向けて,独立行政法人 医薬品医療機器総合機構(以下,PMDA)の審査人員の増員等,改善が進められている,しかし,承認された医療機器が市販後に不具合い等が発生した場合,わが国では国および審査担当者への責任追及の可能性が否定できない。そのため,特にリスクの高い新規の治療機器に関しては,承認判断に慎重とならざるを得ず,審査期間が長期化する傾向にある。審査を迅速化するためには,審査担当者の免責等,新たな制度の検討が必要と考えられる。

4)イノベーションの適切な評価
医療機器は約30万品種が約700の機能区分に大括りで分類されており,機能区分ごとに保険償還価格が設定されている。同一の機能区分内にある医療機器は,すべて同一の保険償還が設定されていることから,新たに開発・改良された優れた製品に対するインセンティブが働きにくい仕組みとなっている。そこで,現行の機能区分方式を見直し,医薬品の銘柄別収載制度のようなイノベーションが評価され,開発意欲を高める制度の導入が切望されている。

5)アジアとの連携強化
日本の治験はコストが高く,時間を要することが以前より指摘されている。さらに,対象症例数を集めにくいことも国内で治験を行う大きなハードルとなっており,人種差の少ないアジア,特に中国との共同治験の推進が望まれるところである。また,現地における製品基準・規格の作成等においても連携を強化し,ハーモナイズしていくことが,日本企業のアジア展開には重要である。厚生労働省,PMDAと中国衛生部との定期的な意見交換や人材交流等を活発化させ,ハーモナイゼーションを強力に推進することが望まれる。
おわりに

オバマ大統領は昨年(2009年)9月に「米国のイノベーション戦略」を発表した。クリーンエネルギー,先進自動車技術と並んで,“医療技術のイノベーション”を国家の優先分野として掲げた。医療技術のイノベーションの1つは,電子カルテや慢性疾患監視用センサーなどの高度な医療情報である。医療ミス防止やケアの質の向上により,コスト削減をめざすそうだ。もう1つは,がんの遺伝子解明やHIV/AIDSを防止する医薬品開発などである。これらイノベーションへの開発支援に約290億ドルの公的資金が投じられる。米国は市場原理に委ねることで成長してきたと思われがちだが,実はリーダーによる明確な国家戦略の打ち出しと,戦略実行に見合う公的資金の積極投入が米国発イノベーションの根幹を成すのである。翻って日本のリーダーである総理大臣は目まぐるしく交代し,さらには政権交代後も政治は安定せず,いまだに科学技術戦略の司令塔を欠いたままである。このままでは羅針盤なき航海をただ続けるのみで,日本は高齢化と言う海を漂流し続けるのみである。新総理には,小手先ではなく大きなビジョンを描き,リーダーシップを発揮してもらいたい。

では,日本における成長のキーワードは何かと言うとやはり“高齢化”である。超高齢化社会の到来は,“脅威”ではなく“機会”ととらえるべきである。新しい医療や介護システム,そこで消費されるモノやサービスに至るまで,高齢化社会は潜在的な可能性を秘めているのである。最近GEは,「シルバーからゴールドへ」と題した報告書をまとめ,日本の高齢化社会への可能性について説いている。2009年4月,いち早くGEは,高齢者の在宅監視システム等の在宅医療システム事業でインテルと提携を開始し,5年間で250億円の投資を決めているのである。翻って日本は,冒頭述べた『新成長戦略』において,「高齢化社会の先進モデルをアジアさらには世界へ発信していく」と謳ってはいるが,具体的な道筋はこれから描かねばならない。

ここ数年,医療産業には巨大企業から中小企業に至るまで異業種の新規参入が相次ぎ,さながら群雄割拠の戦国時代の様相を呈している。私の知る限りではこれはまだ氷山の一角である。新規参入組は本業で苦戦していることが参入の理由と思われがちだが,実はそれだけではない。生産性が低く,きわめて非効率な市場と言われている医療分野は,機械化,IT化や新しいサービスの提供等で効率と品質の向上を実現し,新たな市場創造と成長を遂げてきた彼らにとって,唯一残された魅力的な市場なのである。特に未知の超高齢化社会に突入した日本市場は,彼らにとっては宝の山なのである。われわれは,これら異業種の参入を脅威と見るのではなく,新技術の融合によるイノベーションを起こすチャンスととらえるべきである。あのトヨタでさえ,電気自動車の開発に乗り出すにあたり,米ベンチャーのテスラ・モーターズへの出資を決めるなど,自社技術だけにはこだわらない姿勢を示している。日本がこれからもグローバルで存在感を示すには,自社技術やサービスに固執することなく,積極的に異業種を取り入れ連携し,革新的な製品・サービスを提供し続けることが求められているのである。

◎略歴
1959年,株式会社富士銀行入行,88年(旧)富士銀行取締役。89年,テルモに入社し,常務取締役就任。93年,代表取締役専務,94年,代表取締役副社長,95年,代表取締役社長。2004年〜現職。 現在,日本経済団体連合会常任理事,日本医療機器産業連合会副会長,日本医療器材工業会会長。

(インナービジョン2010年8月号より転載)
METISからの提言 トップへ インナビネット トップへ