東京大学社会連携講座が取り組むモバイルデバイスを活用したヘルスケアシステム(1)
内村 祐之 氏(東京大学大学院医学系研究科健康空間情報学講座)
2012-10-22
内村 祐之氏
スマートフォンやタブレット端末の普及は,社会インフラとしての医療のあり方を大きく変える可能性を秘めている。今回から2回にわたり,東京大学が取り組むスマートフォンやタブレットといったモバイルデバイスを活用した救急やPHRなどのヘルスケアシステムの実証実験について,内村祐之氏が解説する。
■はじめに
東京大学大学院医学系研究科健康空間情報学講座 は,時間的・空間的に分散された電子的な医療・健康情報を,モバイルデバイスと携帯電話網などのネットワークによって仮想的に統合できる新しい健康情報空間を構築し,実証試験を行うことを目的として,2009年9月に設立された(図1)。医療提供者側に対しては,いつでもどこからでも医療施設内と同様の情報環境にアクセスできる仮想情報空間を提供することをめざし,そのメリットやデメリットを研究している。また,患者や保健サービス利用者に対しては,どこからでも自身の医療・健康情報をモバイルデバイスにより仮想的に持ち運びできるような環境の提供をめざしている。こうした情報環境は,救急時や災害時に確かな病歴・処方情報を医療機関に提示でき,リスクに対して自身を守る大きな価値を持つものと考えられ,将来的には医療・保健サービス提供者と,その利用者の双方が,同時に物理的に医療機関に行かなければ医療ができないという,時間的・空間的制約を取り除く将来の診療のあり方そのものへの検討を行うこともめざしている。
講座で進めている研究のうち,いくつかのテーマについては,開発から実証試験段階を迎え,その成果の一部として2012年7月に行われた国際モダンホスピタルショウ 2012において,主催者企画として実機とともに,展示発表を行った(図2)。ここではその時の発表内容を基に,講座の主な4つの研究テーマについて,それぞれ詳しく説明する。
■モバイル・クラウド12誘導心電図 —救急医療変革に向けて
救急医療において循環器救急,特に心筋梗塞は,近年カテーテル治療の発達により,病院内の治療成績が劇的に改善した。ところが,院外死亡率は依然として高く,改善が得られていない。これは現在の救急体制では,現場到着時に医学的診断が困難であるのがその一因となっているためで,病院前12誘導心電図が可能となれば,現場到着時に医学的診断が成立し,心筋梗塞のトータルな治療成績を向上させると考えられる。
そこで,救急遠隔医療に求められる12誘導心電図伝送の仕組みをモバイル・クラウドICTで構築し,時空間・コストなどの制約を低減し,医療的アウトカムが得られることをめざし,普及のためにローコストで実現することを目的とした。心電計ユニットは,Bluetoothに対応し,良質な12誘導心電図として,波形情報をリアルタイムにBluetoothでPC,スマートフォンに送信する。受信側のソフトウエアは,患者情報を匿名化した上で,携帯電話網を利用して都度伝送する仕組みである(図3)。現在は,異なるフィールド2か所で実証試験が行われている。
1. 実証試験(1)北里大学病院—ドクターカー
北里大学病院では,2011年3月よりドクターカーの現場出動を開始している。消防の要請により,医師,看護師搭乗のドクターカーが出発し,現場で治療を開始することで,重症患者が病院到着前に状態悪化することを避けることができる。北里大学病院のドクターカーは,運行開始1年で約150件の現場出動を行っているが,外傷症例はもちろん,急性心筋梗塞症例に対しても,積極的に出動している。
ドクターカー出動時には,現場で医師がモバイル・クラウド12誘導心電図,心エコーを施行し確定診断を行い,モバイル・クラウド12誘導心電図によって大学病院救命センターで待機中の心臓専門医がその心電図波形を確認し,緊急カテーテル手術の必要性を判断,緊急手術の準備を開始する(図4)。
ドクターカーとともに患者が大学病院に搬送されたときには,すでに緊急手術の準備ができており,すぐにカテーテル手術が施行できる。開始1年でモバイル・クラウド12誘導心電図を施行した急性心筋梗塞は30例となり,早期のカテーテル手術を行った患者は,その分心臓のダメージが少なく,退院が早くなるため,多くの患者の早期の社会復帰に役立つと考えられる。
2. 実証試験(2)北斗病院—地域医療連携
北海道十勝管内は,心血管治療ができる帯広市内の基幹病院と遠隔の自治体病院間に比較的距離があり,患者の搬送には救急車を用いても,かなり時間がかかる状況にある。心筋梗塞などの虚血性心疾患,重症不整脈疾患などにおいて,救急の患者の迅速な搬送のためには,確実な診断が必要となり,心電図診断が欠かせないものとなっている。そこで,連携している基幹病院と遠隔自治体病院で心電図診断情報を迅速に共有するため,モバイル・クラウド12誘導心電図を用いて,その有用性を検討することにした。
モバイル・クラウド12誘導心電図を用いて,北斗病院と十勝管内の遠隔自治体病院(5施設)と連携し,臨床的な実験を開始した。まず患者発生とともに心電図を装着してもらい,データを転送,北斗病院から心電図を診て遠隔自治体病院へ連絡し,搬送する形をとっている。いままでに,急性心筋梗塞,高度房室ブロック,頻拍性心房細動,高カリウム血症に伴う徐脈などの患者の搬送に威力を発揮しており,今後さらに症例を増やし,検討をしていく予定である。
■ICTを利用した2型糖尿病患者の自己管理支援システム「DialBetics」
糖尿病患者において良好な血糖コントロールを維持する上で,継続的に療養指導を行い,セルフケアを支援することは重要であるが,外来や教育入院では時間が限られており,医療従事者の負担を増大することなく,効果的に療養指導を継続する方法が求められる。そこで,2型糖尿病患者を対象に,ICTを利用して遠隔で糖尿病の自己管理を支援する部分自動化システムDialBeticsを開発した。
システムは,以下の3つのモジュールからなる(図5)。
(1)データ通信モジュール | |
自宅で測定された患者のデータが,1日2回Bluetooth,もしくはFeliCaを用いて,自動的にサーバに送信される。 | |
(2)データ判定モジュール | |
「医師の確認」が必要ないと判断されたデータについては,「糖尿病治療ガイド2008-2009」(日本糖尿病学会編)をアルゴリズム化したプログラムに 従って,目標を満たしているかどうかを判定する。「医師の確認」が必要であると判断されたデータ(血糖値400mg/dL以上,もしくは40mg/dL以 下,収縮期血圧220mmHg以上)は,医師に送られ,医師が必要に応じて個別に対応する。 | |
(3)コミュニケーションモジュール | |
a) 測定データの判定結果を電子メールで送り,併せて食事内容と運動習慣に関する質問を患者にメールで送信する。 b) 患者は,音声入力,もしくはテキスト入力により,食事内容と運動量を返信する。 c) 患者の入力内容に応じて,生活習慣の改善に関するアドバイスが患者にメールで送り返される。 |
模擬データを用いてシステムの正確性・安全性を検証した後,倫理委員会の承認を得て,11人の2型糖尿病患者(インスリン注射を行っていない)を対象に,パイロットスタディを実施,スタディ前後のHbA1cを比較し,インタビュー調査を行って,生活習慣の改善具合を評価した。パイロットスタディの結果,データ通信およびデータ判定は,HbA1cが7.0%前後の患者では正確,かつ安全であった。音声入力は改善が必要であり,アドバイス作成はデータベースの登録テキストを増やし,改訂を重ねていくことが必要である。自宅での血圧測定によって,血圧のコントロール状況も明らかとなり,さらに充実した糖尿病管理が可能と期待される。
(続く)
◎略歴
(うちむら ゆうじ)
東京医科歯科大学歯学部歯学科卒業。歯科医師。大学卒業後,日本アイ・ビー・エム株式会社でSEとして病院情報システム構築に従事後,2009年9月から現職。専門は医療情報学。現在は,携帯端末を医療分野へ応用するための研究を中心に行っている。著書に,「Android SDK逆引きハンドブック」(C&R研究所)がある。