医療AI/ICTの研究開発と社会実装の課題を解決し次世代医療を創造するには,イントラパーソナル・ダイバーシティを持つ医療人材の育成とコミュニティの形成が重要
小林 泰之 氏(聖マリアンナ医科大学大学院 医学研究科 医療情報処理技術応用研究分野 教授,デジタルヘルス共創センター 副センター長)

2021-2-8


小林 泰之 氏

日本における医療分野の人工知能(AI:Artificial Intelligence)などのICT(Information and Communication Technology)関連の研究開発から社会実装を実現させるには,課題が山積している。なかでも人材不足は大きな課題であり,医療やAI,さらに経営戦略など複数の専門性を併せ持つ,いわゆるイントラパーソナル・ダイバーシティ(個人内多様性)を有する医療人材の育成が求められる。そして,このような人材が集まるコミュニティを形成することで,医療AI/ICTの研究開発から社会実装のすそ野を広げ,次世代医療を創造することが期待される。

AIへの期待とわれわれがめざすもの

AIを含むICTの技術は指数関数的に進化するとされています。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)により,社会や経済,働き方や生活様式,そして個人の嗜好や生き方に至るまであらゆるものが大きく変化する戦後最大の変革期が到来しています。COVID-19はこれまでのデジタルトランスフォーメーション(DX)のスピードを大きく加速させます。将来はこのような世界がやってくるのだろうと思っていた新技術が,われわれの日常で,皆さんの想像をはるかに超えるスピードで現実となります。
AIが人間に置き換わるとの議論があります。人間がAIに絶対にかなわない能力として,(1) 無制限の集中力と持続力,(2) 超高速の論理的思考力,(3) 膨大な記憶力と検索力があり,さらに将来的には(4) 直観的判断力,(5)(大量生産後には)低コスト,が挙がります。脅威ではありますが,われわれはいたずらにAIを恐れることはありません。人間がAIを使いこなしてAIができることはAIに任せることで,これまで余裕がなくて現実的に行えなかった「人間でしかできない仕事」に,われわれは集中することができるようになります。これがAI活用の本質です。「AIを活用することにより医学は飛躍的に進歩するとともに,医師・医療従事者が時間的・精神的余裕を獲得することにより医療の原点“人を癒す”に立ち返ることができる」と言われています。われわれが積極的にAIに関与して,AI開発の方向性をコントロールしていかなければなりません。
ObermeyerらがNEJMの論文の結論で,「他の領域と同様に,医療の世界でもAIの取り組みにより勝者と敗者が出現するであろう。しかし,AIが医療を変革することによる最大の勝者が患者さんであることは間違いないであろう」と述べています。非常に重要な指摘であり,間違いなくこのような未来が来なければなりません。われわれ医療従事者は,患者さんのためにAIを活用する次世代医療を実現していかなければなりません。あらゆる医療従事者が「AIを学ばなければならない」時代です。

私の原動力は危機感

このままでは確実に近い将来に医療が崩壊するという「危機感」,日本がAI/ICT後進国であるという「危機感」,このままでは日本にAI/ICTを活用した次世代医療が来ないという「危機感」が私の行動力の源泉です。この危機を脱するにはどうすればよいか,やはり地道ではあるが,ひとりでも多くの仲間をつくるしかない。すなわち,人材育成が将来の医療を救うのだと確信しました。

課題が山積する日本の医療 AI/ICT活用

医療への AI/ICTの活用が期待されており,海外では社会実装が進んでいます。しかし,日本の場合は課題が山積しており,医療へのAIの普及が遅れています。その象徴的な出来事が2019年の北米放射線学会(RSNA 2019)で,AI関連の展示を行う「AI Showcase」で,出展企業144社中,日本の医療AI企業はエルピクセル1社だけでした。米国はもとより中国や韓国企業に比べて,日本企業の存在感がなく,私自身,大きな危機感を覚えました。その後,COVID- 19のパンデミックの中で,世界中で遠隔医療なども含めたDXが急速に推進され,ビッグデータを活用した医療AIの研究開発も急速に進んでいますが,残念ながら日本は遅れをとっており,AIを含めたICT全体が後進国になっているという印象があります。
日本が遅れをとっている理由で挙げられるのが情報不足・理解不足とそれに伴うAI/ICTに取り組む人材の不足です。日本は海外に比べて深層学習の研究者が非常に少ない状況にありますが,それとともに研究開発や社会実装を担うAI/ICTを理解する医療人材の数がまだまだ少ないことが挙げられます。さらに,責任あるポジションへの若手の登用が進んでいない点も課題と言われています。
また,個人情報保護の壁は大きな課題です。個人情報保護法の観点からも,アノテーション作業の手間の問題からもAIなどの研究開発のための十分な学習データを集めることは容易ではありません。さらに, COVID-19 の影響により,医療機関の経営環境はますます厳しい状況にあります。医療AIを普及させるためには,AIを活用した診断・治療を診療報酬上で評価するといった施策が求められます。
一方で,薬機法の承認を取得している AIアプリケーションがあるものの,海外と比較して非常に少ないのが現状です。放射線科医は1回の検査で複数の臓器を観察して多様な病変を探しますが,AIは特定の所見を拾い上げることしかできないものがほとんどで,すなわちシングルモダリティ・シングルパーパス・シングルオーガン対応で,その診断精度も臨床で十分に使えるレベルではないと思います。また,モダリティの性能が進歩して学習データが変わったりガイドラインや病理分類が変わることで,AIも再度学習をし直す必要が出てくる場合もあります。さらに,放射線科医は画像以外の臨床情報を参考にして最終的な判断をしますが,現状ではAIにそれを行うことはできません。AIの精度は,ベンダー間・装置間・施設間のばらつきを含めて学習データに依存します。このような点で海外で開発されたAIアプリケーションが実際の日本の自施設の医療現場で十分な精度を確保できるかの検証作業も必要となります。これらのことを踏まえると,医師の能力を超えるようなAIはまだ開発されていないと言えます。
加えて,AIが示した結果を説明できないというブラックボックス化の問題や,販売後の再学習の問題,AIを用いた診断や治療に対する法的な責任の所在についても,偽陽性や偽陰性にどう対応するかを含めて十分には解決されていません。このほか,病院内外の医療・ヘルスケア情報をAIが十分に活用できるための医療情報システムの開発も不可欠です。
以上のような問題点を考慮すると,われわれの医療現場で効果的かつ効率的に活用可能なAIはまだ開発されていない現状であると認識しています。

物事の本質を理解することが重要

AI時代のビッグデータの本質とは何でしょうか。単にビッグデータを学習させて診断・予測を行うことだけではなくて,人間が従来発見できなかった関係性を発見することだと考えられます。従来の研究とは,人間が考えついた仮説を検証していたために人間の想定外の発見は難しい,また技術的に解析可能な範囲内で検討していたために解析に数十年かかるような計算は始めから除外されていました。近年は,このような限界が解決されつつあり,がん発生に複合的に関連する遺伝子の組み合わせを発見する,あるいは,がんの発生機序を発見するなどはその一例でしょう。これは某企業の役員の方にお聞きした話ですが,「認知症の方を発見するのは簡単だそうです。どうすればよいかわかりますか?」と問われました。さて,皆さんいかがでしょうか。彼は「水道代やクレジットカードの明細を確認するんです。認知症の方は風呂に入らなくなったり,買い物が変わるなど行動が変わってくるからです」と答えを教えてくれました。実は病院に来る前に病気を発見するのに,医療・ヘルスケアとはまったく異なるデータが役立つ可能性があります。これがAI時代のビッグデータの本質であると言えます。
また,個人情報の本質とはどのような点にあるのでしょうか。東京都八王子市で北原国際病院などを展開されている北原茂実理事長は,ご講演の中で「八王子では意識不明で街中で倒れられた患者さんの場合でも,救急車がその場に到着して顔写真を撮るだけでその方の名前や住所,疾患の有無,かかりつけの病院,投薬歴,リビングウイルまでわかるシステムの導入を始めました」とお話しされました。その際に,私は「どのようにして顔写真を含めた個人情報を集めておられるのですか」と質問しました。彼は「個人情報の問題はトップダウンでは解決しないんです」とおっしゃりましたが,トップダウンですべて解決すると思っていた当時の私には衝撃的な言葉でした。彼は「住民の方々に,皆さんの個人情報を預けていただけたらどのような医療を提供できるのかを,しっかりと地道に地域住民の方々に説明して納得していただくことが重要なんです。そうすれば,わざわざ個人情報を登録しにわれわれの病院まで来てくださるんです」と続けられました。私の個人情報に対する考えがまったく変わった瞬間でした。医療を変えるためには,国民に納得してもらうことが重要なんだ。国民に真実を伝えながら自分たちの未来の医療を選択してもらう必要があるのだと思うようになりました。
このように『物事の本質を理解する』ことが重要であることをさまざまな方々から学びました。前述した課題解決のためには,このような考えに基づいて未来のビジョンを共有してともに行動できる仲間が全然足りないことに気づきました。人材育成の重要性を再認識するとともに,その道に踏み出していく原動力となりました。

AI時代に必要とされる医療人材育成により次世代医療を実現する

さて,未来の医療を創る人材とはどのような人でしょうか? ヤフーの安宅和人氏は「これからの未来を創るカギになるのは,普通の人とは異なる“異人”である」,そして「ある領域でヤバイ人。夢を描き複数の領域をつないで形にする人。どんな領域でも自分が頼れるすごい人を知っている人」を異人と定義しています。ソニーコンピュータサイエンス研究所所長の北野宏明氏は,彼の著書の中で「新しい研究は,一人の研究者が複数の分野をよくわかっているときに新しいものが生まれる確率が高い。それは,自分の中で複数の分野を越境しているからです」と述べておられます。これからは,より多くの異なった複数のタグを身に付けたイントラパーソナル・ダイバーシティを獲得して,自分の希少性を高めていくことがこれまで以上に重要な時代になったと感じています。
また,これからの時代は,「医療・ヘルスケア×テクノロジーדヒューマン”」を基盤として,人間中心の医療や人間中心のAIを実践していくしかありません。最も重要な“ヒューマン”を具現化するには,医療現場に近い医療従事者が参画することが必要不可欠です。
さて,このための勉強をする場は提供されているでしょうか? 海外では,教育プログラムとしてMOOCs(Massive Open Online Courses)があり,超一流の教育プログラムが聴講のみであれば無料で配信されています。しかし,日本には無料で開催される優れた教育プログラムは,まだほとんどありません。そこで,われわれは,「医療人2030育成プログラム」をスタートさせました。広い視野と複数の専門性を持って,これからの医療を創造するプロフェッショナルな人材を育てるために,AI などの最新の技術はもちろん,ビジネス戦略や起業家精神を学べる場を,Webを活用して費用を抑えて提供します。
すでに,2020年9月から13回にわたる,「医療AIセミナー」を無償で開催しており,2021年度からは「医療人2030育成セミナー」を開始します。これらの医療人2030育成プログラムは,日本を代表する医療AIのスタートアップ企業の起業家や研究者などの専門家,新しい試みをされている医師・医療従事者,そして,新規事業戦略やコミュニティが専門の企業人の方々の協力の下に行っていきます。また,これらのセミナーでは,知識を学ぶだけでなく,ワークショップなどを通じて,参加者のコミュニティを育てていくことも重視しています。
日本はまだ医療AIに興味を持っている医療従事者や研究者,技術者が少ないのが現状であり,それを増やしていかなければ,医療AI/ICTを活用した次世代医療は先に進みません。われわれは,医療人2030育成プログラムのような人材育成の取り組みを通じ,AI のリテラシーの高い人材を医療の世界に数多く輩出することで,医療AI/ICTへの関心を高めて医療従事者と企業・政府機関間の共創を推し進め,さらに国民の理解を得るような活動も行いながら,研究開発から社会実装まですそ野を広げていきたいと考えています。

人材育成を通じて次世代医療の創造を

私自身としては,このような人材育成に取り組むことによって,日本の医療が抱える課題を解決し,次世代の医療を創造しようという大きな動きが起こることを期待しています。医療人2030育成プログラムに協力いただいているスタートアップ企業の起業家の方々は,ある意味型破りで常識にとらわれない非常にユニークでエキサイティングな方々です。彼らから刺激を受けてイントラパーソナル・ダイバーシティを持つ医療人が一人でも多く育ちコミュニティを形成することで,新たなイノベーションが生まれればすばらしいと思います。医療AI/ICTはまだまだ発展途上です。イノベーションにより,AIが人間に寄り添い,人間がより良い人生を送れるようにAIが生涯にわたりともに生きていくような社会が到来することを期待するとともに,その発展に私自身も貢献していきたいと思います。

 

(こばやし やすゆき)
1989年旭川医科大学卒業。91年自治医科大学附属さいたま医療センター放射線科,95~96年米国スタンフォード大学留学を経て,2005年に聖マリアンナ医科大学放射線医学講座講師となる。その後,2007~2009年に米国ジョンズホプキンス大学に留学し,2015年に聖マリアンナ医科大学先端生体画像情報研究講座特任教授。2018年から同大学大学院医療情報処理技術応用研究分野教授となり,2019年から同大学デジタルヘルス共創センター副センター長を兼任する。

 

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