インナビネット特集 インタビュー
東京大学医学部附属病院放射線科准教授・緩和ケア診療部長 中川恵一氏 患者さんを幸せにするという医療の基本を忘れないこと ―放射線治療への国民の理解が深まり、医療現場にも変化―

[インナビ・インタビュー] の第2回目のゲストは,東京大学医学部附属病院放射線科准教授で,緩和ケア診療部長の中川恵一氏。2007年4月にがん対策基本法が施行され,がんによる死亡者の減少とがん患者と家族の苦痛軽減・生活の質の向上という目標に向け,がん対策推進基本計画のもとに取り組みが進められており,わが国のがん医療は大きく変わりつつあります。中川氏は,この法律の成立に尽力し,厚生労働省のがん対策推進協議会の委員として計画策定に加わったほか,がんをテーマにした一般向けの著書を数多く発表するなど,国民のがんへの理解が深まるよう,精力的な活動を続けています。そこで,今回は中川氏に,がんを取り巻く日本の医療の現状についてお話をうかがいました。

● 2006年にがん対策基本法が成立,2007年4月から施行されましたが,その背景と経緯についてお聞かせください。

 放射線治療は,米国の場合がん患者の66%が受けており,ドイツやイギリスでもおよそ6割に対して行われています。一方で日本では,過去10年間で倍増したとはいうものの20〜25%となっており,諸外国と比べ極端に少ない状況です。

 例えば子宮頸がんならば,日本以外の国では放射線治療が主流ですが,わが国では手術が中心です。私は手術がいけないと言っているのではなく,患者さんが放射線治療を知らないで手術を受けるほかないという状況に問題があると思っています。これは自動車で例えると,トヨタしかないと思って購入するのと,日産やホンダなどを見た上でトヨタ車を購入するのとは大きな違いがあるということと同様です。

 がん治療は100%成功するわけではありません。だからこそ重要なことは,患者さんが納得した治療を受けるということです。その納得した治療の選択肢に,放射線治療が含まれていることが大事なのです。

 日本は医療にお金をかけない国です。医療費はGDPの8%で,米国の半分にしかなりません。このような限られたリソースの中でやりくりしているのが日本のがん医療です。ですから,がん医療で不足している部分をどのように補っていくか,限られたリソースの有効活用が求められています。日本の場合,手術に関しては世界でもトップレベルですが,放射線治療,化学療法,緩和ケア,がん登録など,世界に比べて遅れています。この遅れている部分に手を打つという発想に基づいてつくられたのががん対策基本法です。

 がん対策基本法は,放射線治療・化学療法の推進と専門医の育成,治療初期段階からの緩和ケアの実施,がん登録の推進が重要的課題として柱になっています。法律の立案には多少なりとも私もかかわりましたが,それは私が放射線治療を専門としており,東京大学医学部附属病院の緩和ケア診療部長として緩和ケアに取り組んでいて,がん登録にも関心があったことからです。ですから,私としてはがん医療の現場からの意見を述べさせていただきました。

● 執筆や講演活動など,精力的にがん医療に対する啓発活動に取り組んでいますが,その目的は何でしょうか。

 医療界というのは常にそれぞれの分野でギルドをつくります。学会もそうであり,学術活動の場であるとともに,所属する会員を守るという側面があります。ですから学会同士や2つ以上の学会を横断するような日本癌治療学会などの組織では,例えば外科医に放射線治療の啓発活動をお願いしたり,患者さんにがん医療への意見を聴くよう依頼することは,トヨタと日産が集まって,日産がトヨタに“もっと日産車を評価してください”とか“お客さんに日産車も見るよう言ってください”と言うようなもので(笑),現実的には難しいです。

中川先生 にもかかわらず,なぜ日産車が売れるかというと,自動車を購入する人が日産の自動車もあると知っているからです。子宮頸がんの場合,U期ならば日本では8割が手術で2割が放射線治療であり,海外ではその逆です。毎日新聞の調査で,手術と放射線治療の治癒率が同じならばどちらを選択するか質問したところ,56%が放射線治療と回答しました。放射線治療を選ぶ人が過半数もいるのに,現実は2割しか放射線治療を受けていません。これは,国民が放射線治療という選択肢を知らない,つまり自動車はトヨタでしか売っていないと思っているのと同じことです。それを日産でも自動車を売っていますと教えるように,放射線治療について知らせることは,患者さんが納得して治療法を選ぶことにつながるわけです。自動車が日産でも売られていることを誰もが知っているように,放射線治療についても知っていることが当たり前にならなくてはいけません。

 しかし,その当たり前の話が耳に入らない。その理由の1つには,日本人の意識から“死”というものがなくなっているからだと思います。例を出すと,ある小学校で児童に“人は死んだら生き返るか”という質問をしたところ,3割が“生き返る”と回答したという調査結果があります。小学生がそう思っているように,日本人の心,日常生活の中から“死”がなくなってしまっているのです。このような状況では,がんの話はなかなか耳に入ってきません。また,毎日新聞の調査では,72%が緩和ケアという言葉を知らないという結果が出ています。それくらい日本人にはがんの知識がないのです。一方で,日本は,2人に1人ががんになり,3人に1人ががんで死ぬという世界一のがん大国です。そのアンバランスががん難民を生み出しているのではないでしょうか。そのバランスをとるためにも,一般向けの著書は,できるだけわかりやすい内容にするようにしています。

● 今春の診療報酬改定では,放射線治療や緩和ケアなどがん医療に関する加算が設けられていますが,どのように評価していますか。

 改訂の内容を見ると,がん対策基本法の中で,重点的課題に挙げられている放射線治療と化学療法,そして緩和ケアについて,これまで不足していた部分を補っていくことに注力していると思います。私は日本放射線腫瘍学会の理事・健保委員会委員長として,厚生労働省や中央社会保険医療協議会(中医協)との折衝を行いましたが,今回の改定は,がん対策基本法とがん対策推進基本計画に沿ったものでなければならないと主張しました。例えば,がん対策推進基本計画には,10年以内にがん医療に携わるすべての医師が緩和ケアの基本知識を習得するといったことや,放射線治療の精度管理についても評価すると記載されています。

 診療報酬改定では,それに基づいた内容となっており,医療機器安全管理料2や強度変調放射線治療(IMRT)が新設されました。こうした評価の視点は従来なかったものであり,大きな進歩だと思います。

● がん対策基本法施行以降,国民の意識の高まりや医療現場での変化など,どのように考えていますか。

 私たちの啓発活動がどのくらいの成果があったのかわかりませんが,2008年1月に出版した『がんのひみつ』という書籍はすでに10万部が売れており,Amazonのランキングでも総合17位になるなど,“変わってきた”という実感があります。これまで世界一のがん大国であるにもかかわらずがんが秘密にされてきましたが,“もうそうはいかない。きちんと議論すべきである”,“縁起でもないと耳を塞がず知る必要がある”というムードが出てきました。そうなることで放射線治療についても理解が広まっており,それに携わる私たちにとってもやりがいが出てきています。また,診療報酬で放射線治療の精度管理が評価され,IMRTが保険適用されたことで,それを支える方の雇用も進むことが予想されます。これから放射線治療にかかわる方へのニーズが増え,評価が高まってくると思いますので,頑張っていただきたいですね。

● がん医療にかかわる医療人に向けてメッセージをお願いします。

 患者さんを幸せにするという医療の基本を忘れないことが最も大事だと思います。学会などのギルドは,構成員の幸せや利益を考えることも必要ですが,それだけでは限界があります。患者さんに選ばれるためにも,自分たちは患者さんのために何ができるかということを常に考えていなければ,結局は生き残ることはできないと思います。

※5月15日(木)18〜20時,東大安田講堂で,“がんを知る”公開講座(主催:東大病院緩和ケア診療部,共催:毎日新聞社)が開催されます。お問い合わせは,事務局(TEL 03-3212-2274)まで。

(2008年4月30日(水)取材:文責inNavi.NET)

◎略歴
東京都出身
東京大学医学部附属病院放射線科准教授・緩和ケア診療部長として診療活動を行う一方で,放射線治療や緩和ケアの普及や啓発活動に情熱を注ぎ,多忙な日々を過ごしている。年末年始も休みなく働き,気がつけば年が明けていたという氏のストレス解消法は,酒を愉しむこと。日本酒とワインで日々の疲れを癒している。

1960年 東京大学医学部医学科卒業
1989年 スイスのPaul Sherrer Instituteに留学(客員研究員)
1993年 東京大学医学部附属病院放射線科助手
1996年 同専任講師
2002年 同准教授
2003年 同緩和ケア診療部長

主な著書
『ドクター中川の“がんを知る”』(毎日新聞社) 『がんのひみつ』(朝日出版 )『切らずに治すがん治療最新の「放射線治療」がわかる本』(法研) 『ビジュアル版 がんの教科書』(三省堂) 『命と向き合う - 老いと日本人とがんの壁』(共著,小学館) 『自分を生ききる - 日本のがん治療と死生観』(共著,小学館) 『放射線治療とEBM』(監著,インナービジョン)

インナビ・インタビュー トップへ インナビネット トップへ