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第16回 医療機関経営とコンプライアンス

●事件の裏に潜む,医療の問題点

 マスコミ等が大々的に報じているとおり,7月上旬,奈良県の病院で診療報酬の不正受給が発覚した。実施されていない心臓カテーテル検査(以下,「心カテ」。)を,不正に請求したものである。院長,ならびに関与していた医療機器販売会社の社長が,詐欺容疑で逮捕されている。病院は閉院が決定し,入院患者の転院が完了し次第,その幕を下ろすことになるということも報じられた。今月はこの事件について考えてみたい。

 事件のポイントは,医療制度を“巧みに”悪用した点にある。生活保護を受給する患者に対して行われた心カテであるがゆえに,患者本人に自己負担の請求は発生せず,不正の発見が難しかったこと。該当する傷病名がレセプトに記載されていれば,診療行為の請求は審査をすり抜けてしまうこと。医師と患者との間に強力なパターナリズムが存在すれば,それが不要な心カテであっても,患者は従わざるを得ないこと − こうした点は,事件を契機に再考が必要であろう。たとえば1点目の生活保護患者の医療費について述べると,「医療費の自己負担がない」からといって「医療費がいくらかかっているかを知らなくてもいい」ということではない。医療費の請求書を発行する必要はないが,明細書を手渡せば済むことである。レセプトを作成するのだから,“明細が作れない”ということはあり得ないのだ。生活保護患者のごく一部には“自分は医療費がタダだから,病院にかからなければ損だ”という意識があり,実際に大量の湿布薬などを要求する患者を,筆者も体験している。情報を提供せずに意識変革を求めるのは,決してフェアなことではない。

 ところで視点を変えると,この院長の経営手腕は実に見事である。ターゲット(対象患者)の絞り方,集患のための努力(報道では関西圏にまで患者確保の営業を行っていたという),心カテという専門(?)領域による収益確保など,極めて戦略的と言える。もちろん不正は許されないことだが,医療機関の経営者にとって学ぶべき点も多いのではないだろうか。ただし,学んだとしても,真似をしてはいけないのだが。

●医療機関におけるコンプライアンス

 医療制度の悪用とともに,見逃してはならないのが「コンプライアンス」である。この言葉は,一般的に「法令遵守」と訳されるが,医療においては“法律だけ守ればいい”というものではない。治療には侵襲が付き物であり,時には身体抑制や隔離が行われる。こうした生命を守ろうとする医療者の意思,あるいは人権に対する「尊厳」が伴ってこそ,医療は成り立つのである。今回の事件には,これら広義の意味でのコンプライアンスが決定的に欠けていたように思われるのだ。

 5年前には,病院に勤務していた看護師が心カテ後に亡くなるという,不幸が発生していたらしい。院長はその看護師のカルテを自分の金庫に隠していた。あるいは2年前にも,奈良県に対して内部告発があったと聞く。また看護師が不要な心カテについて,院長に抗議した際には,“給料を払わないぞ”という脅しもあったとのこと。さらにはカテーテルを消毒して使い回すなどの,異常な行動もとられていた。こうした事例の一つひとつが,コンプライアンスの欠如を物語っている。院長(経営者)と職員(従業員)というヒエラルキーに麻痺し,法令や倫理をかなぐり捨てたことが,結果的に閉院どころか医療全体の信頼を失墜させることになったのだ。我々は,この点こそ,学ばなければならない。健康や生命を守るということは,あくまでも「人間」を守るための“手段”なのである。同じ理由から医療者は患者だけを守るのではなく,他の医療者に対しても“人間として”守らなければならない。そのための「コンプライアンス」なのである。

 ここ数年,食品偽装や建設をはじめ,立て続けに企業のコンプライアンスが疑われるような事件が起きている。経済や効率がすべてに優先する社会風潮が影響しているのだろうが,皆,初心は違っていたはず。医療も経済活動の一つであることは否めないが,「師」の着く職業として,もっと崇高な誇りを持ちたい。

 コンプライアンスを無視する事件が,医療においては今回が最後になるよう,切に望んでいる。