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第7回 後期高齢者医療制度をめぐって

●悪いのは「制度」か,それとも「運用」か

 本年4月にスタートした(はず)の後期高齢者医療制度。半年を経ても定着するどころか,批判は増すばかりである。そこでもう一度,本質に立ち返って考えてみたい。はたして問題点はどこにあるのだろうか。

 かつての老人保健法は,対象年齢を70歳以上(一定以上の障害を有する場合は65歳以上)としていた。それを新法である「高齢者医療確保法」にあらためたのは,“伸び続ける高齢者医療費と財源”が理由であることは疑う余地もない。国会では野党が「年齢で医療を区分することはおかしい」と,かつての老人保健法に戻すことを主張している。何のことはない,従来の法律も年齢で医療区分を定めていたのだ。さらに年金からの天引きが,国民の逆鱗に触れたことも野党の主張を強めることにつながっている。「消えた年金」以降の社会保険庁の対応の杜撰さは,批判されて当然である。同じ「天引き」であっても,本人が自ら選択した“引き落とし”であったなら,その後の展開も変わっていただろう。4月ではなく,もっと早いうちからアナウンスがおこなわれていたならば,今回のような“事件”にはならなかったはずだ。要するに「制度」の問題と言うよりも,「運用」のまずさが混乱の原因と考えられるのである。

 一方で与党や厚生労働省の「制度改善」案も,残念ながら“小手先のもの”と言わざるを得ない。そもそも後期高齢者医療制度の出発点は「高齢者の心身の特性に対応した医療の提供」であったはず。それがいつの間にか「高齢者の医療費が伸び続けるのが問題である」といった形にすり替えられてしまった。高齢者の特性を考えると,治療の長期化や複数疾患の発症など,医療費がかかることは前提条件である。“それが問題なのだ”と決めつけられたならば,手も足も出ないだろう。さらに検討されようとしている「改善」案についても,情緒論的な部分が多分に見られる。“姥捨て”などの表現がマスコミでもさかんに使われている。ひどい話になると“高度経済成長を支えてきた高齢者に対する仕打ち”などといった言葉まで飛び出す始末である。このような発言をする者は,“成長を支えなかった人間には医療を提供する必要はない”と考えているのであろう。こうしたことを根拠とするならば,制度の改善などできるとは思えない。制度の原点である「高齢者に適した医療提供」から再出発し,どうすれば実現できるのかを検討することが必要なのである。

●医療機関と後期高齢者医療制度

 医療機関の経営戦略と後期高齢者医療制度の関連はどうなっていくであろうか。本年4月の診療報酬改定では,“後期高齢者の担当医的役割は診療所が担う”という考え方が明らかになった。確かに在宅医療や「かかりつけ医」的役割を中心に据えると,その任は診療所ということになる。ところが各地の医師会は,この考え方に否定的だ。“フリーアクセスを阻害する”という意見を都道府県医師会の決議として掲げる場合が多い。しかし,これも誤解である。そもそも患者が同意して初めて「後期高齢者診療料(600点/月1回・1診療所のみで算定)」の対象となる。診療計画を策定し,連携先医療機関を決定するのは“患者との共同作業”なのだ。「フリーアクセス」と「共同に基づくコンセンサス」のどちらが大切かは,それぞれの価値観であるからここでは重視しない。ポイントになるのは,医療機関の経営戦略として考えた場合,“どちらが患者から信頼を得ることができるか”ということである。

 今後も高齢者は増加していく。特に都市部は,高齢者の絶対数が増えていくことも分かっている(図表参照)。患者確保や連携のターゲットとして,どのように戦略的な対応を行っていくかを考えなくてはならないだろう。それは診療所ばかりでなく,病院にも同様のことが必要となるのである。最終的には診療所や病院ばかりでなく,介護サービス事業所を含めた地域の医療福祉施設全体のテーマなのだ。

「日本の都道府県別将来推計人口(平成19年5月推計)について」より