2012年9月29日(土),時事通信ホール(東京都中央区)において,「開原成允先生記念シンポジウム」が開催された。
開原氏は,国際医療福祉大学大学院長在職中の2011年1月12日に急逝した。東京大学医学部を卒業し,東京大学医学部附属病院の中央医療情報部長,国立大蔵病院院長,財団法人医療情報システム開発センター理事長などを歴任。第28回日本医学会総会副会頭も務め,医療のITや国際化に尽力した。このシンポジウムは,開原氏の功績をたたえ,その遺志を継ぐ機会として行われ,会場には遺族や生前から交流のあった参加者が集まった。
開会にあたり,主催者挨拶として,学校法人国際医療福祉大学理事長の高木邦格氏が,開原氏との出会いや思い出などを語った。この後,第一部の基調講演が行われ,2名の演者が登壇した。
まず,開原氏が力を注いだ医療のIT化について,一番弟子とも言える東京大学大学院医学系研究科医療情報経済学分野教授の大江和彦氏が「医療のIT化がもたらす社会貢献〜展望と課題〜」と題し,講演を行った。大江氏は,開原氏の足跡をたどりながら,患者サービスと医療の質の向上を目的に取り組んだ,東京大学医学部附属病院の医療情報システム導入の歩みや,日本における医療のIT化の歴史を紹介した。また,開原氏が中心となって,2001年に策定した「保健医療分野の情報化にむけてのグランドデザイン」と,それ以降の行政施策について取り上げ,電子カルテシステムの普及が諸外国に比べても進んでいるといった現状を説明した。その上で,大江氏は,標準化などの課題を挙げ,開原氏が考えていた患者サービスと医療の質の向上の視点に立ち,IT化を進めていくべきとの考えを示した。
2番目の講演では,近年開原氏が力を注いでいた医療の国際化をテーマに,内閣官房医療イノベーション推進室参事官の藤本康二氏が「日本の医療イノベーションの今後の展望と課題—開原先生が教育者として実践的に導かれた政策—」という演題で講演した。藤本氏は,まずわが国の打ち出した日本再生戦略とその中での医療政策について解説。今年6月に医療イノベーション会議がまとめた「医療イノベーション5か年戦略」の内容を説明した。藤本氏は産業として医療を考え,社会保障としての医療を充実させつつ発展させていくためにも,医療サービスや・技術を輸出する「アウトバウンド」が重要であると述べた。さらに,藤本氏は,日本の医療サービス・技術を輸出することは,発展途上国も大きな恩恵を受けることになると説明した。
休憩を挟み,パネルディスカッションが行われた。始めに,基調講演の演者2人以外のパネリストたちが個別に発表した。聖路加国際病院病院長の福井次矢氏は,同院が今年評価を受けたJCI(Joint Commission International)について,組織の仕組みや審査項目,実際の評価でのエピソードなどを紹介した。2番目に登壇したピー・ジェイ・エル(株)代表取締役の山田紀子氏は,同社がロシアで取り組んでいる,日本の医療機関を紹介するサービスについて,そのきっかけや事業の内容,現在の問題点などを説明した。
続いて,3番目のパネリストとして,一般社団法人日本画像医療システム工業会会長の小松研一氏が,画像医療システム分野を中心に,産業面から見た国際化の現状を報告。画像医療システム産業は,研究開発拠点や生産拠点の海外進出などにより,国際競争力が高いと述べた。次いで,4番目のパネリストとして,国際医療福祉大学総長の矢崎義雄氏が登壇した。矢崎氏は,開原氏とともに2011年の日本医学会総会の準備を行ったときのことなどを振り返った。そして,医療の国際化を進めるためには,語学研修,専門スキル強化,国の伝統・歴史・文化を知ること,日本が世界に果たす役割の明確化,が重要であると述べた。
この後,同大学大学院長の金澤一郎氏を座長に,6人のパネリストによる討論が繰り広げられた。医療のIT化を進める上での標準化のあり方や,産業としての医療を発展させるための方策など意見が交換された。
最後は,同大学の学長である北島政樹氏が挨拶を行い,シンポジウムは閉会した。開原氏の遺志を継ぎ,ITと国際化の2つのテーマから日本の医療を発展させるという思いが,登壇者たちから伝わるシンポジウムとなった。
演者全員によるパネルディスカッション
ホール横に用意された開原氏の功績をたたえる展示
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